教育連載コラム―未来への戦略-

新鮮野菜がプログラミングで育つ – 会社の得意を活かした植物工場 -【後編】

企業が進化するために必要なこと

前回のコラムでは、植物工場が色々な技術に支えられていることをお伝えしました。

後編では、最新テクノロジーに対する企業の取り組みの必要性について阿部さんに伺いました。

植物工場をスタートしたきっかけ

上松:貴社は空調設備の会社というイメージがありますが、このような植物工場まで関わっておられて驚いています。
阿部:もともと新潟県に工業技術総合研究所のコンソーシアムがあり、工業の技術を農業に転用しようという動きがあったんですよ。そこで当時、弊社の役員が興味を持ち参画したのです。
上松:興味があるといっても結構ジャンルが違うような気がするのですが。
阿部:その役員は化学工学を勉強した上で入社し設計課に配属されたのですが、工業技術総合研究所の取り組みに興味があり、この植物工場に関わるようになりました。
植物を育てるためには普通、天気などに左右されますよね。しかし植物工場は環境をコントロールする為、天気には左右されません。
ですから単に植物を育てて売るのではなく、その技術を売るということを念頭にスタートした事業なんです。

上松:こういうノウハウがあると技術が向上していく、という個々の技術をシステマチックに構築するイメージですね。
阿部:そうです、技術の構築をメインとしています。実際、どんどん技術が進化していることが面白いですよ。だから弊社の中でも特殊な取り組みではあります。少人数で進めていますから、本流ではありませんが。

上松:設備管理やメンテナンスに技術が役立っているということが今回わかりました。様々なプログラミング、それもIoTを利用して遠隔で管理できる部署なのですね。

企業の強み、それは進化と様々な研究、そしてチャレンジ

上松:最近企業もDX化していますよね。
阿部:DXを考えるととても進化を感じます。今までやってきた古いことを考えると疑問がありますし、色々なことにチャレンジしていくことの一環ですね。
上松:色々なことということは、他にもあるのですね。
阿部:太陽光発電についてもやっているんですよ。全国で44メガあります。とても大きなところもあり、遠隔監視をしています。けれどもそれも設備管理のノウハウを転用しているのです。
上松:空調システムも遠隔監視できていますから応用できそうですね。
阿部:太陽光発電は投資に近いものでもありますが、普段何気なく使っている電気に対する見方が変わってくることは間違いありません。ピークシフトに対する考え方とか。とにかく電力使用の山を均すことです。デマンドを抑える必要がありますので。
上松:一時的に稼働率が上がってしまう場合ってありますよね。
阿部:そうですね。それが電気料金に跳ね返ってきますから。デマンド制御に対応させる設備を作り、デマンド契約に基づき契約電力を抑える。
つまり、30分ごとの時限の平均値が現在の契約を上回ると、その後1年間の毎月の基本料金が上がりますので、30分時限でどれくらい使うのか予測を立てるデマンド監視システムの仕組みも作っています。
上松:それはすごいですね。こういったシステムにソフトを使うことで快適な環境を創り出すだけでなく、SDGsの観点からも必要だと思います。

阿部:このままだと電力デマンドが昂進しますよ、という時に自動的に空調や照明等の制御を行い、電力使用を平準化し発電や送電設備の負荷も軽減する、実際そういうソフトを作っています。
上松:基本料金が年間を通じて安くなるというソフトが存在するんですね!素晴らしいです。世の中のためになることを積極的にやっている会社というイメージに変わりました。

教育の必要性

上松:先ほど工場を見学したら若い人もいらっしゃいましたね。レタスを収穫されています。雇用も生まれていますね。
阿部:新潟大学ビッグデータアクティベーション研究センターという組織が新潟大学にあるのですが、学外運営委員として参加させていただくと教育の重要性を感じます。やはりこういった最新の技術と教育を繋げて考えなければ、将来の雇用も考えられないと思います。
上松:今のことは未来のことに繋がりますからね。
阿部:私は最初、会社で空調機等の修理をやっていました。そこでPLCという工業用のコンピュータを使っていたのですが、現場でデバッグしソフトを直したことから適性を買われ配置換えとなりました。その後、30歳過ぎて情報処理の資格を取得したりコンピュータのことを勉強し始め、弊社独自の監視制御システム等のソフトウェアを作ってきました。
上松:色々なことを経験されましたね。
阿部:はい、良かったです。会社に入って40年以上、あらゆる場面で勉強している人はいます。今は新しいデータサイエンスの勉強もしていますし、機械学習の勉強は若い人と一緒に受けています。新しいことを学ぶのは楽しいですね。
実はハンダの作業で指先も色々と鍛えています。基板を修理する時のために。ハンダ付けというのは昔から行っていますが、最近の基板にあるたくさんの足を持つIC等を外す練習をしています。付けるのではなく外すのが難しいからです。
上松:色々なことが仕事にも活かされていますね。
阿部:グローバルな見方が大事だと思っています。日本に合わないと言う方もいるけれども、海外の優秀な人材にも柔軟に見習っていかなければならない。少子高齢化で人口が減ってきていますしね。また、子どもたちが今無い職業につく可能性があるので、柔軟な対応力を育てる必要性が高くなってきていると思います。
上松:教える先生がそれに対応することが重要ですね。

菱機工業株式会社 概要
設立から67年を数え、創業当時のアイスクリーム製造装置の販売から始まり、生鮮食品の安全衛生への貢献、大規模空間の空調設備の設計製作へと、冷凍冷蔵、空調技術をベースとした事業を展開してきた。
高度経済成長に伴う建設ラッシュの需要には空調に加え給排水衛生分野にも事業領域を広げている。
今はコンピュータ技術を取り入れながら設備のIoT化なども推進し、ソーラーパネルなどのエネルギー事業や再生可能エネルギー事業に参入している。
ホームページURL: http://www.ryokikogyo.co.jp/
60年のあゆみ: http://www.ryokikogyo.co.jp/common/pdf/ayumi.pdf

事業内容
空気調和設備の設計・施工
給排水衛生設備の設計・施工
防災設備の設計・施工
クリーンルームの設計・施工
自社開発“RiCS”システムの適用と開発
その他の冷熱関連・融雪設備
再生可能エネルギー 太陽光発電所建設

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新鮮野菜がプログラミングで育つ – 会社の得意を活かした植物工場 -【前編】

今回は菱機工業株式会社の子会社「RYOKI PLANT FACTORY浦佐合同会社」の植物工場を見学した。こちらは2016年に植物工場システムの研究開発施設を作り、レタスや様々な野菜を栽培している。
野菜がスクスクと育つ様子を見て、テクノロジーの進化を垣間見ることができた。

筆者を案内してくださったのは、菱機工業株式会社に40年勤務されている阿部さん。責任者は谷口さんという方で、工場の詳細やパソコン画面でプログラミングを行う様子も見せていただいた。

光や水の状態を良い状態にするノウハウ

上松:すごくたくさんの新鮮野菜がありますね。意外と色々な種類があるんですね。

谷口:野菜をパックにして地元のスーパーに卸しているくらいの量がありますよ。

上松:新潟県は県単位だと食料自給率が100%なのですが、東日本大震災の時にスーパーの品揃えがスカスカになってしまい、なんだか心配でした。
谷口:ここでは、大学の先生の研究室と一緒にいくつかの共同研究もしています。もともと京都大学農学部出身ということもあり、この工場を担当しています。
植物工場には様々な技術とノウハウがあります。例えば、根っこの老廃物が養液配管に沈着するという一例だけでなく、課題はたくさんあります。農学部に限らず、工学部などにも色々と聞いています。

植物体が基本的に緑色なのはなぜでしょうか。これは赤い光と青い光しか使わなくても、それ以外の色を反射するので緑色に見えるのです。普通の蛍光灯ではなく、赤色発光667ナノメートル*の発光ダイオードが入った化合物の特殊な光でなければなりません。

  • 1ナノメートルは10億分の1メートル


上松:かなり専門的な知識が必要なんですね。
阿部:この領域ではオランダがかなり進んでいます。トマトなどもオランダは日本の反収の3倍くらいと聞いています。苺の害虫を捕るのに、天敵としてダニを外国から輸入する事例もあるのです。
谷口:苺の場合、普通は受粉するのに人手がいります。ミツバチでやれば良いのですが、紫外線カットの光を使う工場内では生殖行為ができないのです。しかし外国のマルハナバチはこのような光でもOKです。
阿部:苺を育てている方はかなり苦労されていますね。新潟では廃校になった小学校を活用した苺の植物工場で、栽培にマルハナバチを使っているんですよ。
谷口:日本だけでなくニューヨークでもけっこう人気なんです。苺一個だけで1万円するものもあるようです。
上松:すごいですね。日本の果物って美味しいですよね。苺はもちろん、マンゴーなども。北海道で作っている事例もあります。
このあたりでは、温泉熱を使ったマンゴーがありますよね。新潟ではシャインマスカットも作っていますね。
農家の方も、米作りより果物の方が良いとおっしゃっていました。
谷口:植物工場で栽培できる作物にはいろんな種類があって、ケール、サニーレタス、辛いルッコラ、バジルなどがあります。2段目はレタスの苗です。レタスは種を蒔いてから36日間、バジルは54日間もかかります。結構、葉っぱが密でも大丈夫なんですね。

上松:他に何か工夫されていることはありますか?

谷口:この工場とは別の場所で、雪氷熱、地中熱を利用したコンテナ型植物工場での栽培を行っています。
植物工場は、照明熱の為に1年中冷房が必要です。雪が降るまでは地中熱を利用し、雪が降ると堆積させた雪の上を断熱材のように籾殻(もみがら)で被覆して保存します。
夏季の冷房時期には、この熱を利用して電気は使いません。ワインセラーや八海山のお酒の保存には雪室がありますが、融解熱をできるだけ活用しています。このあたりはどこの家でも雪が必ず降るので、生産したお米を雪室に入れている家もあります。

上松:雪国だったらどこの家でも地下室を作れば良いのにと思いました。

後編では、企業の進化に必要な最新技術について、また、将来の雇用を見据えた教育の重要性についてもお話いただきます。

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「学歴よりもスキルと学習歴」の時代へ ~IT人材育成モデル「P-TECH」とは~【後編】

前編ではP-TECHのステークホルダーと連携と共創について述べた。今回の後編ではそのメリットについて述べたい。

教育に関わることが企業にとってのメリット

産官学で取り組むプロジェクトは企業にとってどのようなメリットがあるのかを考えてみた。
社会貢献活動といえば、社会活動に関わる今話題の「CSR」がある。これまで企業はコンプライアンス(法令遵守)が大事だと言われていたが、コンプライアンス以上に企業の活動を社会貢献に結びつけることが重要であるという考え方、それがCSRである。時にはCSRによって企業への信頼が構築されることから、株価にも影響を与える。
企業が利潤の追求をする場合、企業はあらゆるステークホルダーへの社会的責任があるという考え方により、企業はそれぞれ自社の課題を見つけてCSRを自ら作り上げていく時代となっている。

CSR
= Corporate Social Responsibility 企業の社会的責任。

また、現在の社会状況では「SDGs」がどこででも叫ばれる時代となっている。企業が利益だけを追求しても、その企業やそれを取り巻く社会が持続可能でなければ、巡り巡って企業にもダメージがあるだろう。
つまり、人材の教育に関わることでは、企業にとって持続可能なIT人材の育成を行うことが、巡り巡ってその企業の採用にも役立つことにもなる。

SDGs
= Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標。
参考: SDGsとは? | JAPAN SDGs Action Platform | 外務省

質の高い教育の提供を行うことは企業価値の向上、ブランディングということにも繋がるだろう。地元に貢献しているという企業への信頼性がその地域に生まれる。
きちんとコミュニティに対して発信することで、よりよい信頼関係が生まれていくだろう。
さらには、社員のエンゲージメント向上というメリットもある。これまでの企業は終身雇用制度の中で社員旅行、忘年会、運動会など日本企業としての独自な社風を築いているところも少なくない。
これらは従業員の会社に対する愛着心や思い入れを深めていくことが目的である。しかし、このように教育に関わって行く取り組みにおいて、社員が自分自身の価値を再認識するということもあるようだ。

例えば高校生との交流の際に、自分のITスキルについて話をすることで、自分の価値を再確認することができる。企業にとっても社員個人にとっても、プロジェクトに参加する動機づけになっているのだと感じる。

教師にとってのメリット

他には、最新情報を知らない教師の知識がどんどんとアップデートされていくというメリットもある。
教師に対する教育には教育免許更新講習などがあるが、研究会などに参加しないかぎり、自らの知識のアップデートをする機会はなかなか作れない。しかも最先端のIT企業と関わることは難しく、数年前に検定を受けた教科書をもとに授業を進めていくスタイルがメインである。
調べてみると教師向け講座もあり、ここでは教員が楽しみながら、IT人材の育成をするために仲間と共に講座を受けるという仕組みがあった。

企業の変化、IT社会の進化、教育の変革と色々とヒントになることが多く、これからは日本にも情報社会に対応できる人材の育成が必要になってくると感じた事例である。

教育に関わることが企業にとっては多大なメリットとなる。また、企業が地域の教育に関わることは持続可能な社会にとっても必要なことである。
一企業がやれることは限られているかもしれない。しかし、企業が旗を振り、行政や学校、地域などに声をかけてそれを繋げていくことこそが地域にとって求められている、そういう時代となってきた。

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「学歴よりもスキルと学習歴」の時代へ ~IT人材育成モデル「P-TECH」とは~【前編】

今回の当コラムでは、官民連携で展開するIT人材育成のための新しい教育モデル「P-TECH」について紹介する。P-TECHとは、Pathways in Technology Early College High Schoolsの略称である。
P-TECHは、教育委員会や各企業などのステークホルダーと確実な連携を取り、共創して進めていくプロジェクトだ。具体的には高校3年間、短大2年間の高校と大学を結びつけ、5年間一環してやり続けるプロジェクトである。

学歴よりもスキルの時代

P-TECHは5年間の一環教育で日本の高専に近いイメージだが、海外の場合、高校が4年間の場合は6年間というケースもある。目的は「IT人材育成」がメインであり、4年制の大学では育成が難しいIT人材を育てあげることである。これからのIT人材には「大学の学位や学歴で仕事をするのではなく、スキルで働く」という考え方が存在することになるだろう。
今の学びは重要ではなく、新しい技術が出てくるため、常に学び続ける人材を育てることが大事だという考え方を持つ企業も増えつつある。

実際に海外でも、大学4年間で学んだことより、技術に興味を持ってずっと学び続けてくれる人材を育てようという動きがあり、P-TECHもその世界的な取り組みの1つである。

2011年にアメリカで始まったこの取り組みは、現在28カ国240校以上の規模となり、600社を超える企業パートナーが150,000人の学生をサポートしている。
ここでは5年制の学校での学びと官民連携がキーワードであり、企業が実際の運営に対してパートナーシップをもって協力し支援していることが特徴だ。

https://youtu.be/Ehd6HnCeE5A

高校生にはITエンジニアに会う機会があまりない。そして企業がどうやって仕事をしているのがわからない、というのが現状だが、P-TECHではメンターになる人と繋がり、様々な社会交流プログラムを行うことが可能となっている。彼らにとって、課題意識や学びの動機付けを行っていくことは良い経験となるだろう。
学校と社会の繋がりをしっかり結ぶというイメージで、工業高校のIT関連コースを中心に教師が授業を行っている。

世界で600社のIT企業が参入しているが、どの企業も「学び続けることの大切さ」を重要視している点が共通項といえるだろう。

日本のケースでは、神奈川県立産業技術短期大学校の例がある。短大の2年間と結びつけて5年間、高専の学び方に近いもので、一環してプログラミングなどのスキルを習得できるものとなっている。
そのほか、神奈川県立神奈川工業高等学校、東京都立町田工業高等学校、日本工学院八王子専門学校とも連携している。
また、茨城県では県の行政が入っており、地元課題の意識付けが行われている。梨農家のIoTに関する話を紹介し合うといった例もあるようだ。常陽銀行や鹿島アントラーズ等も連携しており、茨城県について県全体で高校1年生のうちから課題意識を持たせる取り組みである。

こういった取り組みにより、地域社会で役に立つことを考えたり、お年寄りへの支援をはじめ、どのような貢献ができるかなど目的を持って勉強することができるのではないだろうか。

授業で単なるプログラミングをピンポイントでやらされているだけでは、何のためにやっているのかわからない。P-TECHのように、色々な面からITの必要性について考えていくというプロジェクトは今後益々重要になってくるだろう。

後編ではP-TECHのメリットについて紹介する。

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つくる楽しさと成功体験でクリエイターを育むアプリ「スプリンギン」開発に込めた想い(後編)

建築からデザインへ

上松:前編では中学校までのお話を伺いましたが、やはり創ることが大好きで建築学を目指したということでしょうか。群馬県には男子校、女子校という進学校のイメージが私には当時ありました。
中村:そうですね。ご想像通り、進学校で男子校でした。絵を描いたり何かを創ったりするのはずっと好きではありましたが、田舎だったのでとりあえず地域で一番の進学校に行くしか知らなかったんですよね。
そしてせっかく進学校に入ったので、旧帝大のどこかには行きたいと思うようになって。当時たまたま名古屋大学にセンター推薦というセンター試験だけで合否が決まる制度があるというのを見つけてきて、これだ!って思って集中して勉強した結果、合格できました。
そもそも暗記が得意でなくてちょっと不安もあったのですが、原理だけ覚えて公式をその場で作ったりして乗り切りました。もともと「しくみ」を考えるのが好きなんです。
上松:会社名でもありますものね。しくみを考える工程が楽しい人と苦手な人といると思いますが、それは人によるんでしょうか。
中村:楽して楽しむ、というのが良いと思うんですよ。苦手な人も楽をして、いかにショートカットできるかというのを考えるのが良いと感じます。
上松:なるほど、すごく複雑なものを創ろうとするから苦手になってしまうのかもしれませんね、シンプルにできるのが一番なのかもしれませんね。
中村:そうですね。そして、名古屋大学では建築学科に行きました。建築を選んだのは、普通科から行ける一番芸術に近い学科かなと思ったからです。大学で油絵の授業もあるらしい、という話を聞いたので(実際ありました)。
ところが、実際入学して勉強したり設計実習をしたりしているうちに、建築は少し違うな、と思い始めたんですね。
建築は設計から施工まで工程が分化していて、多くの人が関わって1つの物を作り上げますよね。コンセプトを考える人、図面を作る人と実際現場で作る人は違います。改めてそういったことを知って、「最初から最後まで自分で作りたい」という気持ちが起こったんです。

上松:プロジェクトですからね。それに例外はもちろんありますが大きな会社に入るとマンションが中心で、他の建築、例えば個人の住宅にどっぷり時間を費やすことはできませんからね。
中村:その時は、グラフィックデザインやプロダクトデザインなら完成まで全部自分でできるんじゃないか、と思って。建築系からデザイン系に専攻を替えたい、と考え始めました。
そんなときに、2×4(ツーバイフォー)工法専用の建築CADを開発している会社にアルバイトをすることになり、そこでCやC++を学びました。ちょうどWindows95が出たばかりで、その会社もソフトの移行をしなければならないタイミングで猫の手も借りたい状態だったんですね。まだ若い学生だったこともあって、たくさん質問していろいろ教えてもらいました。
そこで、ソフトウェア開発も、やろうと思えば全部自分でできるな、と気づきます。

メディアアート「KAGURA」の誕生と株式会社しくみデザインの設立

上松:なるほど、自分が最後まで関われるという点は大きく違いますね。
中村:そうなんです。それで九州芸術工科大学に行き、デザインとプログラミングを両方組み合わせてメディアアートの制作を始めたんです。メディアアーティストをやりながら、大学院ではユニバーサルデザインの研究をしていました。
担当教官はグラフィックデザインの先生でしたが、メディアアートでもなんでも自由にしていいよ、できたら見せにおいでよ、という方で、恵まれた環境でした。

大学も専攻も変えたので、せっかくだからと学部の授業も他学科の授業も面白そうなものは何でも受けました。工業設計学科の、コピックでデザイン画を描く授業とか面白かったですね。音響とか色彩とかの授業も非常に勉強になりました。
上松:私も情報文化専攻で大学院生になった当時、情報の学部の授業だったらどれでも好きな授業に出て良いですよ、単位も取れますよ、と言われたので、これは全部出るしかないと思ってたくさん出ました。退路を断って教員を1年間辞めた時期だったのです。その時に受講した、MIT出身の戸田先生の授業が今の情報の知識の基礎となっています。
自分で言うのもなんですが、情報学の基礎を学部からびっしりと勉強したのは本当に代えがたい体験ですね。中でも、遠隔地からクラウド上でロケットを設計し組み立てるという体験は驚きでした。パースの世界から建築の世界が進化するなと感じましたね。
中村:大学や大学院で学んだことは大きいですね。また、実は名古屋大学の大学院に落ちて一浪してから九州芸術工科大学の大学院に進んだので、まるまる一年間空白がありまして。この一年間、朝から晩まで毎日CAD開発のバイトに行ってたんです。時給も良かったし、ソフトウェア開発が楽しくて楽しくてしょうがなかった。
だから、デザインとテクノロジーを組み合わせて作品を創ることが、自分にとっては自然の流れだったんでしょうね。いろんなことを複合的に組み合わせる能力がこれから大事なんじゃないかと感じたんです。
メディアアートを作り始めたころは、まだ日本でやっている人が少なくて、今ならライバルも少ないしチャンスなんじゃないかと思っていました。そこで、いろんなアワードを調べて、単なるアートじゃない表現ツールにもなる新しい楽器をつくったら賞を獲ったんです。そしてこの原理はそのまま特許も取りました。

最初のメディアアート「神楽」

上松:それがあの「KAGURA」ですね。大学院卒業後に九州工業大学でヒューマンインターフェースとユニバーサルデザインの講師となられたのもその経験からなんですね。
AR楽器KAGURAについてはどういったコンセプトなんでしょうか。メディアでも映画『マイノリティ・リポート』のようにジェスチャーで操作する未来の楽器KAGURAと絶賛されていますね。インテルのコンテストでもグランプリを受賞したプロダクトですよね。
中村:はい、最初は大学院生の時に、楽器が全く弾けない僕自身が弾ける楽器が欲しくて創りました。カメラの映像をリアルタイムで画像処理して動きを解析し、その動きから音楽を生成するものです。そこから博士課程の研究として、ユニバーサルデザインの視点から、より多くの人が障害のあるなしにかかわらず空間を音で把握しながら楽しめるものとして開発を進めました。

その「カメラの映像をリアルタイムで画像処理して前にいる人を検出し、その人の動きによって映像と音を生成して新しい表現を生み出す」という基礎技術で特許を取得し、2005年に「しくみデザイン」を設立しました。人の動きに反応するデジタルサイネージ広告や科学館やテーマパークのアトラクション、SMAP等アーティストのリアルタイム映像演出など、これまでに1,500作品くらい制作しています。
インテルで世界一になったのは、大学院生の時に最初の作品として創ってから10年後のことです。アワードに挑戦するために、コンセプトは同じまま会社の優秀なメンバーと最新の技術を使って作り直したところ、世界中で評価されました。

インテルのコンテストグランプリを受賞式(ラスベガスのCES会場にて)

会社を設立してから、自分たちがクリエイターとして作品を作り続けてきました。これまで創ってきたものは、大人はもちろん子供でも楽しめるように設計しています。それは、もともとユニバーサルデザインの研究者だったからかもしれません。
そうやって、子供でも楽しめる参加型のコンテンツを創り続けるうちに、この一番楽しい「つくること」をすべての人に体験してもらいたいと思うようになりました。特にプログラミングは、できるようになったら世界が広がってすごく楽しいはずです。プログラミングがわからない人でも楽しく感覚的にプログラミングできるようになって欲しいと思うようになりました。

クリエイターのクリエイターになりたい

上松:それでは「スプリンギン」の話を伺いたいと思います。
中村:「スプリンギン(Springin’)」は、誰もが簡単にスマートフォンやタブレットさえあればゲームなどのデジタル作品をつくってシェアできる「クリエイティブプラットフォーム」です。TikTokのゲーム版みたいな感じですね。
11月には、このスプリンギンを利用してプログラミング教室を開いたり小学校等で使ったりできる教材をそろえた、指導者向けのクラウドサービス「スプリンギンクラスルーム(Springin’ Classroom)」も正式にリリースしました。1年くらいトライアルでやってきて、多くの事業者から頂いたフィードバックをもとにブラッシュアップしてきたものがついに本格的にスタートしたんです。
ずっとクリエイターとして最前線を走ってきて、今度は皆がクリエイターになって欲しいと思うようになりました。クリエイターから「クリエイタークリエイター」になろうとしています。

上松:コンセプトはどんな感じですか。
中村:人がクリエイターになるためには、必要な3つの条件があると思うんです。1つ目が「最高の道具」で、2つ目が「やりたくなる環境」、そして3つめが「認めてくれる人」です。だからまず、最高の道具を創ろうと思いました。
とにかくデジタル作品制作をショートカットできるものが欲しいというところから始まりました。この「制作」のなかにはグラフィックやサウンドはもちろん、プログラミングも入っていました。新しい表現のためにはプログラミングは不可欠ですよね。だから、できるだけ使い始めるまでに必要な学習時間がゼロになるようなプログラミングツールを創りたかったんです。理想は、プログラミングを紙と鉛筆レベルにすることでした。
学習をした覚えがないのに感覚的に理解してることってなにがあると思います?それを僕は、物理現象や自然現象だと考えました。つまり、自分たちが生まれてから地球上で暮らしているうちに自然と身についている現象を、そのままメタファー化してアイコンにし、プログラミングの機能として実装してみたら良いんじゃないか、と。
文字を一切使わずに、直感的なアイコンで自分の描いた絵に動きや関係を与えていくことでイメージ通りの作品を創り出すことができるように、と、3回くらいスクラップアンドビルドで開発し直してようやく今のスプリンギンのかたちになりました。

画期的なのは、コーディングの概念とエラーの概念をなくしたことだと思います。たとえば、画面内のボールを落としたいな、と思ったときに、Scratch等の一般的な言語の場合はコーディングの手法を学習した上に重力の法則を知らないと気持ちよく落とすことができません。スプリンギンならこの世界に下方向に力をかける、と設定するだけです。もちろん、いろいろできるようになるにはコーディングは大事ですよ。でも、先に一通り学習しないと始められないというのが、ネックになってると思うんです。
上松:コードが先でなくこういうもので好きになって、最終的に色々なコーディングができるようになれば良いですよね。

誰でも指導者になれる「スプリンギンクラスルーム」

中村:はい、まさにその通りです。順番としては、まずつくることが楽しくなって欲しいんです。そのためのツールとしては「スプリンギン」は今世の中にあるビジュアルプログラミングの中でもダントツで「最高の道具」になっていると自負しています。
小学校でのプログラミング教育必修化のタイミングもあって、子供でも扱えるビジュアルプログラミングとして知られるようになりましたが、スプリンギンはもともとがすべての人が気軽にゲームを作ってシェアできるように開発したものです。ですので、特徴としては「描き心地抜群のペイントツール」と「録音加工が簡単なサウンドエディタ」と「文字を使わない直感的なアイコンプログラミング」を備えていて、初心者でも始めてすぐに自分のオリジナル作品がつくれるようになっています。スマホやタブレットだけで完結できて、クオリティの高い作品もつくれてしまうところも他にはない特徴です。
もちろん、つくるだけじゃなくて、スプリンギン内にあるマーケットでは世界中のスプリンギンクリエイターがつくった作品をダウンロードして遊ぶこともできます(これまでに13万作品以上が公開されています)。
とにかく、スマートフォンがあれば誰でもクリエイターになれちゃうので、まずはダウンロードしてみてください。他のクリエイター達の作品であそぶだけでも十分楽しいです!

最高の道具ができたら、今度は2つ目の条件「やりたくなる環境」が必要です。使い方を教えてもらえたり、切磋琢磨する仲間がいたり、やっぱり一人よりも皆でやった方が楽しくて身につきやすいですよね。
スプリンギンを使ってプログラミング的思考を学べたりSTEAM教育ができたりする「場」を提供するための指導者に、これまた簡単になれるようにしたいと思いました。
そこで、教材やツールを開発してクラウドサービスとしてリリースしたのが「スプリンギンクラスルーム(Springin’ Classroom)」です。プログラミング未経験者でもプログラミングを使ってさまざまな能力を育てられるようになっていますので、プログラミング教室だけではなく英会話教室や体操教室なんかの先生が新しくプログラミングの授業をスタートできちゃうんです。

そして3つめの条件、「認めてくれる人」をできるだけ増やしたくて、スプリンギン内でサポーター企業の方々と一緒にコラボアワードを実施しているんですよ。スプリンギンを立ち上げると何かしらのコンテストが開催されていると思いますので、ぜひ挑戦して欲しいです。
上松:早速ダウンロードしてみました。楽しいです。まるでゲームセンターの入り口でワクワクする子どもの気分です。クラスルームもいろんなところで導入が進んでほしいですね。誰もがユニバーサルに使うことができるものはグローバルに発展して行くと感じます。ありがとうございました。
KAGURAで世界を湧かせ、また今回、教育の世界にもスプリンギンで新風を巻き起こす中村さん。
これからの教育界のみならず幅広いご活躍が期待されます!

中村 俊介 氏 プロフィール
株式会社しくみデザイン代表取締役、芸術工学博士。
名古屋大学建築学科を卒業後、九州芸術工科大学大学院(現・九州大学芸術工学研究院)にてメディアアートを制作しながら研究を続け、博士(芸術工学)を取得。2004年に九州工業大学講師就任、翌2005年にしくみデザインを設立。2013年に体の動きで演奏するAR楽器「KAGURA」が米Intel社主催のコンテストで世界一になるなど、日本のみならず世界各国で数々のアワードを受賞している。また、世界中すべての人が創造的になれるようにとの想いから、創造的プログラミングプラットフォーム「Springin’」を開発。クリエイティブ教育にも力を入れており、福岡県プログラミング教育推進協議会委員、キッズデザイン賞審査員、アジアデジタルアート賞審査員などを務め、小学校から大学まで様々な学校でプログラミングの授業や子ども達に夢を与える講演を行っている。「はじめてのスプリンギン」著。

教育連載コラム―未来への戦略-

つくる楽しさと成功体験でクリエイターを育むアプリ「スプリンギン」開発に込めた想い(前編)

今回は株式会社しくみデザイン代表取締役であり、芸術工学博士である中村俊介さんにインタビューしました。
中村さんは自らクリエイターとして起業し、その経験からすべての人をクリエイターにしたいという思いで「スプリンギン(Springin’)」というアプリを開発、クリエイターの立場からプログラミング教育を実践している方です。

幼少期から創る体験の大切さ

上松:中村さんには色々とご縁がありますが、熱中小学校でお互い客員教員というご縁もありました。
中村さんは九州大学卒だそうで、私も出張で福岡などにはよく行きますが、ベンチャーの勢いが良い場所ですよね。九州大学、九州工業大学、北九州市立大学等々、プログラミングなどで市民にも色々と貢献しているという点でも素晴らしい場所だと感じています。
中村さん(以下、中村):いえいえ、実は大学は名古屋大学の建築学部ですし、出身も九州ではないのです。大学院から九州芸術工科大学に進学したことがきっかけで福岡に住み始めました。
芸術工学博士としてドクターを取得した年に九州大学と合併したので、最後の芸工大生なんです。
名古屋大学の指導教官から自分に向いているんじゃないかとアドバイスを受けて、この大学院に進学しました。
上松:そうなんですね。私も博士は教育学で多くはないのですが、博士で芸術工学とは激レアなイメージです。ではご出身は名古屋ですか。
中村:それが、名古屋でもないのです。親が転勤族だったので幼稚園は滋賀県の長浜市で、それから彦根市に引っ越しをしました。今思うと、クリエイター的な創ることが好きになったきっかけは幼稚園だったのかもしれません。
ちょうど僕が卒園する年に、幼稚園が老朽化したので取り壊すということになっていて、床や壁の好きなところに落書きや釘打ちなど好き勝手にさせてもらえたらしいんですよ。

幼稚園の中に釘打ちしておうちづくりをしている様子(6歳)

上松:好きなことをしてよいと言われると、クリエイティビティの遺伝子が刺激を受けて進化しそうですね。カスタマイズされた箱庭で安全な決まった玩具で遊ぶのとはケタ違いな体験ですね。MITの1階にも好きに落書きできる場所がありました。
中村:そして彦根市の引越し先が新興住宅地で、建てかけの家がたくさんあったため、そこらじゅうに端材があったんですね。親が子ども用の大工セットを買ってくれたので、建築中の家の大工さんから端材をもらって色々なものを創りました。
自分にとって創作活動は普通だったんです。
その後、親が群馬県に転勤になりまた引っ越しました。

上松:わ、また転勤されたんですね。小学生で転勤するのは大変だったと先日もインタビューで伺ったところです。日本の大企業は、家を建てると逆に辞めないだろうと思って逆に転勤させたりなんて噂を聞いたことがあるくらいですから。それってたとえ企業側にメリットがあるとしても、社員の幸せを考えると、巡り巡って企業にとっては良くないのではと思うこともあります。
家庭を大事にするフィンランドでそのような事例を話したらびっくりされました。子どもにとっても後々の影響は大きいですよね。
中村:自分にとっては方言やカルチャーの違いでけっこうびっくりすることもありました。住宅地から工場地帯という感じで町の環境も異なりましたし。ただ、わりと勉強は得意だったのでなんとかなりました。運動は苦手だったのでモテませんでしたけど(笑)。
そして、中学生の時に父親が会社の同僚からいらなくなったPC8001を貰ってきてくれたことで、コンピュータに興味を持ちました。
それで、自分のパソコンが欲しくて、パソコンとゲーム機の中間のような「MSX2+」を買ってもらいました。その頃は完全にオタクだったので、オタク友達とゲームの交換をしたりしていましたが、そうそう新しいゲームも買えないので、当時プログラミングコードがそのまま印刷されていた月刊誌の「マイコンBACICマガジン」や「MSX・FAN」を買ってきてそのまま写経のようにしてゲームをつくっていました。
もちろんプログラミングなんて全くわかっていませんでしたので、ただただそのまま写せばゲームができるという認識でしたが。

成功体験がモチベーションに繋がる

上松:ベーシックを小中学生で体験された方の中には今、第一線で活躍されている人が多いように思います。当時インターネットも使っていないので時間はあったと思います。
中村:はい、この「MSX・FUN」の雑誌は中学生でもお小遣いで買うことができたんですよね。で、その雑誌の中に1、2行のジョークプログラムなんかを紹介してくれるコーナーがあって、ちょっと試しに中学2年の時に2行だけのプログラムを書いて送ったんです。それがハガキに手書きで。
上松:確かにハガキで出すには鉛筆などで書くしかないですよね、コピペができないですからね。
中村:そうなんです。それでハガキを送ってみたら、なんと雑誌に掲載されたんですよ。それはものすごく嬉しい体験でした。僕にとっての最初の成功体験だったと思うんですよね。その体験がとても印象に強く残ったので、たくさんアワードを開こうと思うようになりました。
現在多くのアワードを実施したり審査員等を引き受けたりしているのは、この体験があるからです。
上松:素晴らしいですね。
中村:とにかくできるだけ多くの人に成功体験と実績を得て欲しいんです。そのためには、ツールだけ渡してもダメなのかな、と思います。
そこで、サポーター企業とコラボしたアワードを実施するしくみを考えました。後ほど詳しく説明しますが、僕たちが開発運営しているクリエイティブツール「スプリンギン」では、例えばANAのような大きな企業も参加していただいてアワードを実施しています。
クリエイターからするとANAから賞を貰った、という喜びにも繋がりますし、企業側には、通常とは桁違いのエンゲージメントを獲得できるというメリットがあります。
サポート頂ける企業は随時募集しています。

教育連載コラム―未来への戦略-

これからはテクノロジーと言語と金融の教育が重要となる!【後編】

前編では主に渋谷修太さんの幼少期の頃や教育観について、また、高専(国立高等専門学校、以下高専)に入った後の体験談や起業に至った経緯についてのお話を伺いました。
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フラー株式会社 渋谷修太さんと筆者
後編では新潟に来られて1年経った今のこと、またプログラミング教育やこれからの地方の活性化について伺います。

プログラミング教育について

上松:日本はプログラミング教育が必修となり、教育現場では色々と大変なこともありましたが、渋谷さんはどう思われますか。
渋谷:授業の必修カリキュラムとしてプログラミング教育が入ってきてしまうと、嫌いな子は最初にアレルギーが出来てしまうのではないかな、と思いました。最初に「やりたい」と思わせた方が良いと思います。例えば、最初に面白いゲームをさせるとか。興味を持つこと、好きになることがまずは大事ですよね。
上松:「これをやりたいから、そのためにこれが必要だ」ということを示すことが大事だと思いますね。
渋谷:そうなんです。例えばフリーマーケットに参加して、お金を稼ぐことが面白いと思わせて、それから算数の大事さに気づかせなければならないのですよね。そういう順番が大事です。
上松:そうですね、子どもの頃の体験をリッチにしていくことによって、学びのモチベーションが変わっていくと思いますね。

これからは地方を活性化していきたい

上松:海外ではプログラミングの得意な学生が、高専のような学校から卒業後の就職のロードマップまで見通せるような、グランドデザインや流れができている所も多いですね。これまで高専や新潟大学のような教育機関と協働で色々とされていらっしゃいますが、学校作りの先を見越した色々なご活動だと感じます。
渋谷:はい、活動としては、実際にはまだやれていないことがたくさんありすぎるくらいなんです。より新潟を活性化したいし、高専教育をやる中で起業家を育てたいです。
新潟ベンチャー協会を去年作って代表をしているのですが、そこで生まれた起業家がどんどん増えてきたら良いなと思っています。
上松:このフロアは色々なスペースがありますね。そういった活動の拠点ということでしょうか。
渋谷:そうですね、今、東京の会社の企業を誘致しているんです。フラーはとても人気で月に100人くらい応募があります。自分たちの会社に来ることができない人が新潟にUターンできるような環境を作りたいなと思っています。
もちろん、会社に入ってから気づくミスマッチも起こりうる。そうした時に他の会社にすぐ移れるようにしてあげたい。また、給料の観点からも、企業が複数あって競争関係が生まれないと上昇していかない。なので、ある程度会社を集積させた方が、働く人たちにとって良い環境がつくれる。そう思って企業誘致を行っています。

このフロアにある「NINNO(ニーノ)」はそんな場所になればと思っています。最終的には新潟を魅力的に思ってもらえたらと思います。僕が産まれた年の100年前は新潟が日本で一番人口が多かったんです。なのでその頃みたいに日本一の活性化を目指したいです。実際、自分はもう100人位は呼び戻したかもしれません。
上松:まだ1年なのにすごい人数ですね。他に何かやりたいことはありますか。
渋谷:これまでは、新潟にはこんなに綺麗な海も山もあるのに、なんで東京に行っちゃうんだろうかなと思っていました。あ、でも一回は新潟を出て行って色々な経験を積んで帰って来て欲しいですね。渋沢栄一なども海外に出ていって日本に戻ってきて色々と日本に貢献していますから。
上松:渋谷さんは新潟の渋沢栄一みたいです、県外や海外からの視点も大事ですね。
渋谷:渋沢栄一は自分がやるだけでなく応援することもしていましたね。この両方できるって素晴らしいと思っていて、自分も両方取り組んでいきたいです。
上松:最近、クラウドファンディングも始められたそうですね。これをみると思いがとても伝わってきます。色々ありがとうございました。

海外や日本の色々なところを見てきた経験と、それを地方に還元していくという壮大な取り組み、まさに現在版渋沢栄一のような渋谷さんの活動は、新潟にとって大きなインパクトをもたらしつつあります。
インタビューを通じて、渋谷さんは様々なメディアにひっぱりだこの有名人となった今も、幼少期の経験が活かされているのだと感じました。まさに「三つ子の魂百まで」を体現されていることに感動しました。

渋谷 修太 氏 プロフィール
1988年生。新潟県出身。国立長岡工業高等専門学校卒業後、筑波大学理工学群社会工学類へ編入学。グリー株式会社を経て、2011年11月フラー株式会社を創業、代表取締役に就任。2016年には、世界有数の経済誌であるForbesにより30歳未満の重要人物「30アンダー30」に選出される。 2020年6月、故郷の新潟へUターン移住。2020年9月、新潟ベンチャー協会代表理事に選任。2020年10月、長岡高専客員教授に就任。ユメは世界一ヒトを惹きつける会社を創ること。

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教育を創造的なものにしたい!プログラミング教育が学びを変える – SOZOWが目指す未来 -【前編】

筆者は以前、総務省のプログラミング教育事業推進会議の委員として仕事で全国をまわったが、総務省の事業ということで課外での取り組みが中心だった。そのため「今後プログラミング教育はこれまでの教育のあり方までも変えていくだろう」という予感があった。
小助川さんとはプログラミング教育を通じて出会ったが、その後素晴らしい事業を起こされたと聞き、わくわくしたのは筆者だけではなかっただろう。今回はGo Visionsの代表取締役でありオンラインの学び場であるSOZOWを立ち上げられた小助川 将さんにインタビューした。

Go Visions 株式会社 代表取締役 小助川 将 さん

自然の中で育った幼少時代

上松:小助川さんは秋田県のご出身ということですね。私は新潟県の出身です。周りは農家や兼業農家が多かったのですが、農家の方はとても大変そうでした。その姿を見ているため、今ならIoTで少しは楽になったかもしれませんが、ずっと新潟にいるという感覚にはなれませんでした。私は父方の祖父母が東京だったこともあり、なんとなくいつかは新潟を出るのかな、と感じていました。
東京都内に行くというのはなかなかハードルが高いと思いますが、小助川さんのところは結構田舎だったんでしょうか。
小助川:コンビニには車で30分かかりました。学校も徒歩で40分。なので、結構景色的にも田んぼが多く野山に囲まれていました。
また、当時は親から一度も「勉強しろ」と言われたことがありませんでした。

上松:私も親から勉強しろと言われたことがなく、3歳からピアノを習っていたので親としては音楽の道に進ませたかったみたい。だから小中学校は勉強しませんでしたね。
後で小中学校の問題点にも触れさせていただきたいのですが、私の頃は中学校の英語授業が筆記体や、英単語・英文法の丸暗記と暗記テストのような感じで、考えさせる問題というのは少なかったです。オーラルが中心ならどんなに英語が好きになっていたかと感じますね。海外の人と文通もしていました。でも小中学校の時に親から勉強しろと言われなかったから、今でも学ぶことが楽しくて好きなのかなと思っています。
小助川:本当に、親にコントロールされたことがないという感覚はありますね。骨折も3回しましたし、教科書より三国志の方がわくわくしていました。小中学校の頃は色々と創造的なことに費やしたと思います。
上松:私も小学校で骨折3回しました。鎖骨1回と腕2回。やりたいことを好きなだけやらせてもらっただけでなく、当時はインターネットもなく兄弟もいなかったので、本が何よりの楽しみでしたね。なんだかちょっと似ていますね。
それ以外に家庭環境などで、今の生き方に影響を受けたことはありますか。

小助川:父親が新しもの好きだったんですよね。当時はパソコンを自費で買っていました。そういうことって影響を受けていると思います。高校は秋田県の進学校(秋田県立秋田高等学校)に行き、家から通えなかったので1人暮らしを始めました。その後、慶應義塾大学の商学部に入学しました。
上松:高校で1人暮らしって自由すぎて遊んでしまうのではないかというイメージがありますが、すごいですね。

小助川:はい、そうなんです。自由すぎて遊んでしまった時期もあったのですが、成績が下がり始めた頃に下宿先が溜まり場になり、大家さんに追い出されそうになりました。母親に泣かれて、それで心を入れ替えて勉強しました。これまで勉強を強制されたことがなかったのですが、そういった経験が初めてだったので頑張ろうと思いました。
上松:素敵なエピソードですね。お母様の子どもを思う深い愛情が伝わってきます。大学に入ってまた遊ぶというのも日本の大学あるあるなのですが、1人暮らし経験者としては、初めて東京で1人暮らしをするのとはちょっと違う感覚かもしれないですね。

起業家養成学校への入校と就職、転職

小助川:私は大学の商学部での授業内容について、高校のうちにしっかり知っていたわけではありませんでした。なぜなら、慶応生はどうやらモテるらしいというのが大学を選んだ1番の理由だったからです。
ですが偶然、当時京セラやKDDIを創業した稲盛さんの講演を聞いて感銘を受けました。商学部の講義には会社の仕組みや経済に関するものがあり、それまで全く興味はありませんでしたが、稲盛さんの話を聞いて事業家・起業家へ興味を持ちました。
そして、大学の講義よりも生きた学びをしたいと思い、翌日すぐに経営コンサルタント大前研一さんの起業家養成学校に入ったんです。
上松:素敵ですね、行動力が半端ないですね。お金もかかるだろうに、そういった機を見ることができるのは大自然で育った感覚が生きているのかもと思ってしまいました。

小助川:起業家養成学校に入って良かったのは、きちんと会社を経営していて更に勉強したいというビジネスマンや、既に上場もしている方がいて、自分に声をかけてくれたことです。それがきっかけでインターンや就職にもつながりました。
上松:人脈を広げて、すごい方がいる環境があったというのは大事ですね。私も人脈は大事だと考えています。なるべく教育界の中だけにいないで、政財界の人と関わろうと思ってきました。
お仕事はどんな関係だったんですか。
小助川:新卒では、経営コンサル会社に入りました。将来、事業家を目指すなら経営に近いところで仕事をするのが近道だと思ったからです。仕事としては、企業再建系やM&A関連が多かったです。クライアントの新規事業立ち上げ支援も行ってました。
その後、リクルートに入社しました。リクルートでの経験は自分にとっては大きいですね。
上松:新規事業を立ち上げるっていうのは結構負担かなと思うのですが、自分が主体となって好きにやれるのは良いですよね。
小助川:リクルートでは、本当の心にあるもの、Willを聞かれるのです。「意思」を常に問われるのです。コンサル時代は、クライアントから提示された問題をいかに解決するかが重要でしたが、リクルートはその真逆で驚き、入社後1年くらいはガーンと頭を叩かれた気分でしたね。
リクルートの次はグリーに入社しました。

子どもたちに必要な教育とは

上松:リクルートもグリーも優秀な知人が入っていました。1つの企業にずっといて同じ環境で部署だけ回されるというよりも、色々と若いうちに経験を積むというのは良いことと感じます。居住地も変わったのでしょうか。
小助川:そうですね。引っ越しをした先の学校で、子どもが「学校にいきたくない」と言うことがありました。最初は先生に問題があると思ったのですが、あれっ!自分の子ども時代の20~30年前と、今の子どもたちの教室や学び方が全く変化していないことに驚きました。世の中の変化がすごいにも関わらず、教育はアップデートされていないと感じました。その時点から、会社のことだけでなく教育にも関心を持ち始めたんですよね。

ICCサミット KYOTO 2021にて

特に近代教育の歴史では、軍隊を強くすること、工業の分野では従順でミスなくできる人間を生み出すことが目的という教育の歴史を知りました。
妻と、子どもには自らやりたいことを見つけて自立して欲しい、という話をしました。それが幸せだと思うからです。そのために、子どもたちがまだ経験したことのないことを届ける、サポートするのが親の役割だと考えました。
グリー時代にはエンジニアとともに仕事をすることが多々あり、アイデアを形にして世界へ発信できることはすごいなと思っていました。ですので、子どもたちにもプログラミング体験を届けようと思ったのです。

参考サイト
・SOZOW 好奇心に火がつくオンラインの学び場
https://www.sozow.net/

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これからはテクノロジーと言語と金融の教育が重要となる!【前編】

今回は、グローバルに活躍するフラー株式会社 代表取締役の渋谷修太さんにゲーム作りのきっかけとこれからの教育についてインタビューさせていただきました。渋谷修太さんは昨年、自ら経営する会社を新潟に移し、新潟に新しいイノベーションを起こすきっかけ作りを積極的に行っています。

ゲームが媒体となる!と感じた幼少期

フラー株式会社 渋谷修太さん(右)と筆者(左)

上松:日本ではプログラミング教育がスタートして、Scratchなどの様々な言語が教育現場でも使われ始めています。しかし、SNSなどを見ていると、ゲームって日本の教育現場では敬遠されることがありますよね。一方で私は、幼少期から綺麗でクオリティの高いCGや最新のVRなどのテクノロジーに触れているか触れていないかで、将来までもが変わってくるのではないかと思っています。
今のところ、ゲームで遊んで楽しむ人は多いけれど、ゲームを作ろうって思う人は多くないのではないかと思うのですが、その点も含め、渋谷さんにまずはゲームに関わるきっかけについてお伺いしたいと思います。
渋谷:私が子どもの頃、父親の仕事の関係で転勤による引っ越しが多かったです。父親の実家は佐渡なのですが、県内で何回も引越しをしました。妙高に住んでいたこともありましたし、小学校は南魚沼市で中学校は新潟市でした。実際、転校というのは色々な面で結構大変です。住む所も変わるし、友達がやっとできたのに、また一から人間関係を構築しなくてはならないですしね。
ところが当時、ゲームをしていることで友人と共通の話題ができて、すぐに仲良くなれて、とても助けられました。ですのでゲームにはすごい力があるのだと思いましたし、とても好きでした。
中学生時代は友達がコンピュータ部だったので、そこに遊びに行って「コンピュータって面白いな、将来ゲーム作りたいな」って思いました。そこで専門的に学びたいと思い、高専(国立高等専門学校、以下高専)に入学しました。
実はその当時の友人は今も一緒に会社にいますよ、20年くらいずっと仲良しです。

上松:すごい!素晴らしいご友人関係ですね。しかし子どもの頃の転校って本当に大変ですよね。友人と離れてしまうというショックもあるでしょうし、環境が変わるというのはかなり大変だったでしょう。ゲームにはそういった、人と人とを媒介する力を持っていると感じたということですね。
渋谷:そうです。また、ちょうどその頃PlayStation2が発売されてファイナルファンタジーをプレイしたのですが、グラフィックがものすごく綺麗で、しかも現実では行ったことのないような南の島が表現されていて大変素晴らしかったのです。ストーリーも良くて、もうなんだか涙出るくらい感動しました。
それで将来は子どもたちにも感動するような体験をしてもらいたいと感じ、ゲームを作りたいと思いました。今では全部ゲームで授業をしたら良いのにと思うくらいです。

教育で大事なことは「テクノロジーと言語とお金」についての学び

上松:ゲームと教育の互換性は良いと思います。フェイズをあげていくことも似ています。私も海外の学校を色々と見てきましたが、日本とは色々と違う点がありましたね。先進国では1人1台端末は当たり前ですし、特に金融教育などは本当に小さい頃からやっていました。
渋谷:金融教育って大事ですよね。自分は授業でお金の話を習ったことがないのですが、塾などで教えることがあります。実際、アメリカなどの学校では子どもたちがガレージセールとかやっているんですよね。
これからの教育で重要なことは、テクノロジーと言語とお金についての学びだと思っています。それらがわかりさえすれば、なんとか生きていくことができると思います。ところが日本の教育にはそれがないんですよね。ですから将来は学校を作りたいなと思っています。

上松:それは素晴らしいことですね。学校を作ることは素晴らしい人材がどんどん創出されることにもなりますから、これから色々な面で期待が高まります。

起業することの意義

上松:起業を考えたきっかけは高専時代のご経験も少なからずあるのでしょうか。私は長岡の出身なのですが、当時の高専は優秀な高校生が飛び級で大学に入るみたいな感じで、友人たちが活躍しているケースも少なくないです。だから良いイメージです。
渋谷:はい、私も高専教育は良いと思っているんですよね。すごく自由だしコンピュータも習うし。センター試験もないし、その時間で色々学べるんですよね。そういった意味では私立の高専をそのうち作りたいなと思っているんです。私はその後、筑波大学に行きGREEに就職して会社を作りましたが、やはり高専時代の経験が今に活きているんですよね。
上松:GREEって当時すごく伸びていましたし、良い会社に就職されましたね。しかしそのような会社を辞めてまで自分で会社作るのって大変じゃないですか。日本人は大企業にいれば安泰という人も少なくないですよね。
渋谷:まず高専の時に「会社って作れるんだ」と知ったんですよね。実は小学生の時に親の会社がその場所を撤退することになり、急に新潟市に転校することになったんです。かなりの大企業だったので驚きました。こんなに大きな会社でも何があるかわからないんだな、と子どもの頃に思って、とても考えさせられたんですよね。
その時に会社に勤めるってリスクだなってすごく思いました。誰が経営の判断をやっているかよくわからないし、社長だって優秀とは限らないし、そもそも自分の意志で住む場所を決められないですし。転勤とか絶対嫌だと思っていました。ですので、自分で起業するのを大変って思ったことはありません。作って良かったと思います。

上松:そうですよね。会社の規模が大きすぎると経営陣はどういう人たちかわからないし、それぞれ優秀でも組織の判断ってありますしね。
渋谷:自分としては転校はすごい嫌だったんですよね。何でせっかく気に入った場所に住んでいたのにそこから離れて、しかも大好きな友人と別れなければならなかったのかって思ったんですよ。つまり会社に勤めるのって自分で住みたい場所に住めないんですよね。
でも会社を作れば好きな場所で好きな人たちとずっと一緒に居られるじゃないですか。昨年も「新潟に住みたい」と思えば帰って来ることができましたしね。
好きな場所で好きな人たちと一緒に仕事できるって人間にとって大事な権利だと思っている。大切なのはどこで誰と暮らすかですね。
日本は職業選択については自由ですが、それ以降は案外自由じゃないですよね。だいたい、よくわかんない仲良くもない嫌な上司と20年も30年も一緒に居て、おまけにどっかに飛ばされてしまうのって絶対嫌だなと思います。起業するよりも、就職して会社に勤める方が超リスクだなと思っています。
上松:このコロナ禍にリモートでできる仕事でも、とにかく会社に出勤してそこでやることを強制する会社もあると聞きました。これからの時代、そういったことに疑念を感じる人が確かに増えてくると思います。

これから生きるためのスキルの大切さ

渋谷:つまり生きていける力やスキルがあれば世の中の景気や状況に左右されないし、日本がダメでも海外でやれば良いわけで。しかし、30年ローン組んでその会社が人生定年まで残って成り立っている方に賭けるのってけっこう楽観的な考え方だし、相当リスクだなと思います。
上松:あと30年なんて怖いですよね、確かに。たった10年前だって、スマートフォンがここまで普及するとはだれも想像できていなかったのに。

渋谷:確かに、30年前なら、まずは工場作って、そしてオペレーションを考え…、人材としては、何も考えずに企業に従うとか、物申さない人材が必要だった時期もありましたね。しかし、もう今は物があふれていますし、そういった時代は終わったと判断しなければならないでしょう。ですから教育もこれまでのやり方では、使えない人間ばかりを作ることになります。
上松:まさにその通りですね。また、教育もこれまでの指導方法だけでなく、教育のICT化やDX化も必要ですよね。「デジタル武装で、地域を元気に」というツイートも見ましたが、そういった観点も必要ですね。
渋谷:しかし教育をアップデートしようにも時間かかりますし、教えることができる人がいないという問題もあります。実は今、高専の客員教授をやっていて起業についても教えています。高専にはすごい人材が集まってきています。しかし、起業した経験がない先生には教えることができないケースもありますね。例えば、古い教材をそのまま使っているケースが多く、今であればアプリ開発とかを習いたいはずだと思います。
上松:既存の教育システムと教員ですと、新しい内容を教えるのはなかなか難しいですよね。

渋谷 修太 氏 プロフィール
1988年生。新潟県出身。国立長岡工業高等専門学校卒業後、筑波大学理工学群社会工学類へ編入学。グリー株式会社を経て、2011年11月フラー株式会社を創業、代表取締役に就任。2016年には、世界有数の経済誌であるForbesにより30歳未満の重要人物「30アンダー30」に選出される。 2020年6月、故郷の新潟へUターン移住。2020年9月、新潟ベンチャー協会代表理事に選任。2020年10月、長岡高専客員教授に就任。ユメは世界一ヒトを惹きつける会社を創ること。

教育連載コラム―未来への戦略-

リアルとバーチャルを横断した新たな共同体から生まれる学び【後編】

前編は丑田さんの「働き方」「暮らし方」についてお伺いしました。
後編では「学び方」についてお話していただきます。

五城目町の風景

上松:地域での学びの環境づくりでは、どのようなことを大事にされているのですか?
丑田:学びって何歳になっても大事だし、射程の広い概念ですよね。学校だけでなく地域コミュニティや自然界にも学びを起動するキッカケがあるし、家でテクノロジーを利用して学ぶこともできるようになってきました。東京ではマーケットもあることで機能分化して、プログラミングスクールとか英語塾とかプレイヤーが細分化していますよね。
田舎に行くとそういった機会は比較的少ないですが、一方で地域の多様な資源を引き出すことで学びが誘発される環境づくりという視点ではものすごい可能性に溢れている、と思っています。
上松:わかります。学校もそうですね、大規模学校だと先生方の仕事が細分化しますが、小さな学校だと1人の先生が1人2役も3役も分掌を持たされてこなさなければならない。でもかえって縦割りでなくてうまくいく事例もあるんですよね。
丑田:そうですね。さらに、「ローカルとローカル」「コミュニティとコミュニティ」を越えることでさらなる学びが創発されていくと良いなと思っています。
シェアビレッジで実践してきた「共同体の拡張」もその仕掛けの一つです。必ずしも「学ぼう!」という感じではなく、「村づくりしよう!」とか「一緒に遊ぼう!」という感じから、地元のおじいちゃんおばあちゃんたちや東京から来る人が共体験する中で結果的に学びが生まれていったりするんですよね。
上松:「暮らし方」と「学び方」のトランス・ローカルですね。
丑田:より「教育」という言葉に近い取り組みとしては、町の小学校の老朽化に伴う建て替えを、住民参加型で進めるプロジェクトのお手伝いをさせていただきました。
住民ワークショップで生まれた建築コンセプトは「越える学校」。学校敷地内の図書室や公園を地域に開放することで、偶発的な出会いが生まれる場づくりを目指しました。何歳になっても学びに来られる場所として「生涯小学校エリア」と名付けられています。

上松:熱中小学校のライバルですかね、10年20年たつと町の活性化がすごくなると思いますよ、きっと。
丑田:笑。地域と学校の境を「越える」のに加えて、地域外との境も「越える」環境づくりもこれから進んでいきそうです。
秋田県の教育留学制度を活用して、移住や転校をしなくても一時的に五城目町の学校に入学できるという仕組みです。
今は学び方が多様化していますよね。現時点ではコロナで受け入れは難しいのですが、今後は1週間でも3ヶ月でもオーダーメイドで期間を決めて留学できるようになると、都会と田舎両方の学校に通う「2拠点教育」も現実的になっていくはずです。
上松:そこは進路が揃っている公教育ならではの良い点ですね。
丑田:公教育だからこそできることと、教育システムの外側でできることを、それぞれの視点から実践していくことで、学びの環境はもっと面白くなっていくと思います。
学校と地域と家庭での教育を、一人ひとりに合う形でデザインしていく「ハイブリッドスクーリング」という考え方も、五城目発の教育ベンチャーが実践しはじめています。
上松:8千人の人口ということですが小学校はいくつありますか。
丑田:小学校は1つしか無いのです。少子化で統廃合して。
上松:そうなると転校も難しいし、学校が閉じてしまったらいじめで悩んでいても逃げ場がありませんよね。その点、この小学校は色々な地域との関わりがあったり留学制度などがあってオープンでよいですね。

上松:熱中小学校のライバルですかね、10年20年たつと町の活性化がすごくなると思いますよ、きっと。
丑田:笑。地域と学校の境を「越える」のに加えて、地域外との境も「越える」環境づくりもこれから進んでいきそうです。
秋田県の教育留学制度を活用して、移住や転校をしなくても一時的に五城目町の学校に入学できるという仕組みです。
今は学び方が多様化していますよね。現時点ではコロナで受け入れは難しいのですが、今後は1週間でも3ヶ月でもオーダーメイドで期間を決めて留学できるようになると、都会と田舎両方の学校に通う「2拠点教育」も現実的になっていくはずです。
上松:そこは進路が揃っている公教育ならではの良い点ですね。
丑田:公教育だからこそできることと、教育システムの外側でできることを、それぞれの視点から実践していくことで、学びの環境はもっと面白くなっていくと思います。
学校と地域と家庭での教育を、一人ひとりに合う形でデザインしていく「ハイブリッドスクーリング」という考え方も、五城目発の教育ベンチャーが実践しはじめています。
上松:8千人の人口ということですが小学校はいくつありますか。
丑田:小学校は1つしか無いのです。少子化で統廃合して。
上松:そうなると転校も難しいし、学校が閉じてしまったらいじめで悩んでいても逃げ場がありませんよね。その点、この小学校は色々な地域との関わりがあったり留学制度などがあってオープンでよいですね。

丑田俊輔 氏 プロフィール
ハバタク株式会社代表取締役/シェアビレッジ株式会社代表取締役/プラットフォームサービス株式会社代表取締役

多世代・多地域がつながり育つシェアオフィス「ちよだプラットフォームスクウェア」、日本IBM戦略コンサルティングチームを経て、2010年にハバタクを創業。新しい学びのクリエイティブ集団として、国内外の様々な領域を横断しながら「共創的な学び」を生み出す。グローバル教育の専門チーム「タクトピア」、皆で持ち寄って育む参加型コミュニティ「シェアビレッジ」、遊休施設を遊び場化する「ただのあそび場」、学びのビル「錦町ブンカイサン」、住民参加型の小学校建設「越える学校」支援等。2021年、共創型コミュニティプラットフォーム「Share Village」を公開。秋田県五城目町在住。