教育を創造的なものにしたい!プログラミング教育が学びを変える – SOZOWが目指す未来 -【前編】
筆者は以前、総務省のプログラミング教育事業推進会議の委員として仕事で全国をまわったが、総務省の事業ということで課外での取り組みが中心だった。そのため「今後プログラミング教育はこれまでの教育のあり方までも変えていくだろう」という予感があった。
小助川さんとはプログラミング教育を通じて出会ったが、その後素晴らしい事業を起こされたと聞き、わくわくしたのは筆者だけではなかっただろう。今回はGo Visionsの代表取締役でありオンラインの学び場であるSOZOWを立ち上げられた小助川 将さんにインタビューした。
Go Visions 株式会社 代表取締役 小助川 将 さん
自然の中で育った幼少時代
上松:小助川さんは秋田県のご出身ということですね。私は新潟県の出身です。周りは農家や兼業農家が多かったのですが、農家の方はとても大変そうでした。その姿を見ているため、今ならIoTで少しは楽になったかもしれませんが、ずっと新潟にいるという感覚にはなれませんでした。私は父方の祖父母が東京だったこともあり、なんとなくいつかは新潟を出るのかな、と感じていました。
東京都内に行くというのはなかなかハードルが高いと思いますが、小助川さんのところは結構田舎だったんでしょうか。
小助川:コンビニには車で30分かかりました。学校も徒歩で40分。なので、結構景色的にも田んぼが多く野山に囲まれていました。
また、当時は親から一度も「勉強しろ」と言われたことがありませんでした。
上松:私も親から勉強しろと言われたことがなく、3歳からピアノを習っていたので親としては音楽の道に進ませたかったみたい。だから小中学校は勉強しませんでしたね。
後で小中学校の問題点にも触れさせていただきたいのですが、私の頃は中学校の英語授業が筆記体や、英単語・英文法の丸暗記と暗記テストのような感じで、考えさせる問題というのは少なかったです。オーラルが中心ならどんなに英語が好きになっていたかと感じますね。海外の人と文通もしていました。でも小中学校の時に親から勉強しろと言われなかったから、今でも学ぶことが楽しくて好きなのかなと思っています。
小助川:本当に、親にコントロールされたことがないという感覚はありますね。骨折も3回しましたし、教科書より三国志の方がわくわくしていました。小中学校の頃は色々と創造的なことに費やしたと思います。
上松:私も小学校で骨折3回しました。鎖骨1回と腕2回。やりたいことを好きなだけやらせてもらっただけでなく、当時はインターネットもなく兄弟もいなかったので、本が何よりの楽しみでしたね。なんだかちょっと似ていますね。
それ以外に家庭環境などで、今の生き方に影響を受けたことはありますか。
小助川:父親が新しもの好きだったんですよね。当時はパソコンを自費で買っていました。そういうことって影響を受けていると思います。高校は秋田県の進学校(秋田県立秋田高等学校)に行き、家から通えなかったので1人暮らしを始めました。その後、慶應義塾大学の商学部に入学しました。
上松:高校で1人暮らしって自由すぎて遊んでしまうのではないかというイメージがありますが、すごいですね。
小助川:はい、そうなんです。自由すぎて遊んでしまった時期もあったのですが、成績が下がり始めた頃に下宿先が溜まり場になり、大家さんに追い出されそうになりました。母親に泣かれて、それで心を入れ替えて勉強しました。これまで勉強を強制されたことがなかったのですが、そういった経験が初めてだったので頑張ろうと思いました。
上松:素敵なエピソードですね。お母様の子どもを思う深い愛情が伝わってきます。大学に入ってまた遊ぶというのも日本の大学あるあるなのですが、1人暮らし経験者としては、初めて東京で1人暮らしをするのとはちょっと違う感覚かもしれないですね。
起業家養成学校への入校と就職、転職
小助川:私は大学の商学部での授業内容について、高校のうちにしっかり知っていたわけではありませんでした。なぜなら、慶応生はどうやらモテるらしいというのが大学を選んだ1番の理由だったからです。
ですが偶然、当時京セラやKDDIを創業した稲盛さんの講演を聞いて感銘を受けました。商学部の講義には会社の仕組みや経済に関するものがあり、それまで全く興味はありませんでしたが、稲盛さんの話を聞いて事業家・起業家へ興味を持ちました。
そして、大学の講義よりも生きた学びをしたいと思い、翌日すぐに経営コンサルタント大前研一さんの起業家養成学校に入ったんです。
上松:素敵ですね、行動力が半端ないですね。お金もかかるだろうに、そういった機を見ることができるのは大自然で育った感覚が生きているのかもと思ってしまいました。
小助川:起業家養成学校に入って良かったのは、きちんと会社を経営していて更に勉強したいというビジネスマンや、既に上場もしている方がいて、自分に声をかけてくれたことです。それがきっかけでインターンや就職にもつながりました。
上松:人脈を広げて、すごい方がいる環境があったというのは大事ですね。私も人脈は大事だと考えています。なるべく教育界の中だけにいないで、政財界の人と関わろうと思ってきました。
お仕事はどんな関係だったんですか。
小助川:新卒では、経営コンサル会社に入りました。将来、事業家を目指すなら経営に近いところで仕事をするのが近道だと思ったからです。仕事としては、企業再建系やM&A関連が多かったです。クライアントの新規事業立ち上げ支援も行ってました。
その後、リクルートに入社しました。リクルートでの経験は自分にとっては大きいですね。
上松:新規事業を立ち上げるっていうのは結構負担かなと思うのですが、自分が主体となって好きにやれるのは良いですよね。
小助川:リクルートでは、本当の心にあるもの、Willを聞かれるのです。「意思」を常に問われるのです。コンサル時代は、クライアントから提示された問題をいかに解決するかが重要でしたが、リクルートはその真逆で驚き、入社後1年くらいはガーンと頭を叩かれた気分でしたね。
リクルートの次はグリーに入社しました。
子どもたちに必要な教育とは
上松:リクルートもグリーも優秀な知人が入っていました。1つの企業にずっといて同じ環境で部署だけ回されるというよりも、色々と若いうちに経験を積むというのは良いことと感じます。居住地も変わったのでしょうか。
小助川:そうですね。引っ越しをした先の学校で、子どもが「学校にいきたくない」と言うことがありました。最初は先生に問題があると思ったのですが、あれっ!自分の子ども時代の20~30年前と、今の子どもたちの教室や学び方が全く変化していないことに驚きました。世の中の変化がすごいにも関わらず、教育はアップデートされていないと感じました。その時点から、会社のことだけでなく教育にも関心を持ち始めたんですよね。
ICCサミット KYOTO 2021にて
特に近代教育の歴史では、軍隊を強くすること、工業の分野では従順でミスなくできる人間を生み出すことが目的という教育の歴史を知りました。
妻と、子どもには自らやりたいことを見つけて自立して欲しい、という話をしました。それが幸せだと思うからです。そのために、子どもたちがまだ経験したことのないことを届ける、サポートするのが親の役割だと考えました。
グリー時代にはエンジニアとともに仕事をすることが多々あり、アイデアを形にして世界へ発信できることはすごいなと思っていました。ですので、子どもたちにもプログラミング体験を届けようと思ったのです。
参考サイト
・SOZOW 好奇心に火がつくオンラインの学び場
https://www.sozow.net/