教育連載コラム―未来への戦略-

リアルとバーチャルを横断した新たな共同体から生まれる学び【前編】

今回は「働き方」「暮らし方」「学び方」を新しい概念でとらえて起業された丑田俊輔さんにインタビューをしました。これからの教育はグローカルな社会構築が必要だというハバタク株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役:丑田俊輔さん)についてお話を伺います。

「働き方」に興味を持ったきっかけ

上松:先日は近未来研究会(*1) にて色々な取り組みを伺いました。時代を先取りした取り組みをされていらっしゃいますね。「働き方」「暮らし方」「学び方」を同時並行的にされていられる中でまずは「働き方」についてお伺いさせていただきます。今、コワーキングシェアオフィスを千代田区でされていらっしゃるんですよね。

ちよだプラットフォームスクウェア コワーキングスペース

丑田:「ちよだプラットフォームスクウェア」という神田にあるシェアオフィス・コワーキングオフィスで、2004年に誕生した会社です。そもそも遡ると、慶應義塾大学商学部2年生の時に学部のインターンシップの科目があったんです。その授業の中でオフィス家具会社のインターンシップをしていて、その経営者が、千代田区の公共施設を拠点に、新しい働き方を提案するプロジェクトを考えていらっしゃったんですね。
まちづくりに寄与する事業体として「非営利型株式会社」というあり方を実践し、取り組みに共感いただいた方々からの出資を元に生まれました。
インターンシップのご縁から、こちらのプロジェクトの面白さに惹かれて、大学在学中にどっぷり関わりはじめました。
上松:慶應義塾大学ではカリキュラムにインターンシップがあるのですね。企業にとっても学生の意見はとても貴重ですし良い機会ですよね。ICT教育の研究を家具メーカーとコラボしたことがあるのですが、意外に最新のテクノロジーに敏感な企業もありますね。それからずっとされていらっしゃったんですか。

丑田:いえ、大学を卒業してから少し離れ、日本IBMで4年ほど働き、グローバル戦略チームでコンサルティングの仕事をしていました。上の子どもが生まることもきっかけに教育に興味を持ち始めて、2010年に「学び方」をテーマとしたハバタク株式会社をつくり、その後2014年からは秋田を拠点に暮らしています。

「暮らし方」と、共創型コミュニティプラットフォーム「シェアビレッジ」

上松:なるほど。ここで「暮らし方」についてもお伺いしたいです。色々な地域の取り組みを見せて頂いたんですが、秋田からはじまった「シェアビレッジ(Share Village)*」はすごいシステムですよね、海外では近いものをみたことがあるけれども、日本ではあのようなコミュニティのシステムってまだまだ少ないのではないでしょうか。これまで地域通貨系の取り組みは打ち上げ花火になりがちで、サスティナブルにやっていくことができる仕組みが求められていると思います。

ShareVillage トップページ

  • Share Villageは、コミュニティの立ち上げとコモンズ(共有資源)の運用に最適化した「共創型コミュニティプラットフォーム」。2021年春に、Webとスマホアプリを利用したサービスとして公開された。
    URL: https://sharevillage.co/

丑田:はい、確かに日本円と比べたお得感で地域通貨をつくっても、なかなか普及しなかったり長続きしないことは多そうですね。Share Villageは、自治体の枠組みではなく、コミュニティ単位で独自のコインを発行できるようにしています。
上松:脱自治体ですね。
丑田:自分は秋田で生まれたのではないことや、旅や仕事で移動する機会が多いこともあり、「暮らし方」を少し俯瞰的に見ているのかもしれません。自治体の枠にとらわれない新たな村をつくってみたり、住んでいないけれど特定の地域やコミュニティに参加したり愛着を持ったりすることもありだと思って。
上松:秋田にお住まいとは千代田区とかなり離れていますね。奥さんのご出身なのでそれで五城目町なんですか。

丑田:いえ、秋田出身ではあるのですが、五城目町ではないんですよね。ちよだプラットフォームスクウェアの中に「市町村サテライトオフィス東京」という、全国の自治体がシェアする区画があるのですが、五城目町と千代田区が姉妹都市ということもあって、企業誘致の拠点がここに設置されました。そのご縁から町に遊びに行って、一目惚れしたんですよね。
五城目町は観光地でないこともあり、里山の暮らしが淡々と続いていること、秋田空港まで40分、市内までも30分でアクセスも比較的いい。暮らしや子育ての環境としても、仕事の環境としても、バランスがいいなと思います。

リアルとバーチャルをシームレスに繋ぐシェアビレッジ

上松:なんか直観というか、ここがいいと魅せられた経緯がわかりました。ちなみに私はエストニアへ数回取材や視察に行ったのですが、電子政府なので土地のこだわりがないし、クラウド上でやるのですよね。五城目町という場所にどのくらい依拠しているんでしょうか。
丑田:もともとシェアビレッジは、五城目町の茅葺古民家を舞台に、「年貢」という会費を納めた会員ならぬ「村民」が第二の田舎を持つことで、都会と田舎がつながり学び合うコミュニティをつくるプロジェクトがはじまりでした。2015年に開村し、2500人ほどの村民が参加する「村」に育っていきました。
上松:すごい人数が集まったんですね。年貢まであるとは。
丑田:近代の共同体やコミュニティには、人間を土地で捕捉し、効率的に統治するための村や行政という側面もあるけれども、もともと縄文時代くらいまで遡ると、生き延びるための人間の群れであり、土地の移動もしながら一緒に暮らすということもあったはず。
こういった文脈も眺めながら、ある程度の生存が担保されつつデジタル技術も登場した21世紀に村を再定義するとしたら、リアルとバーチャルを横断しながら、プレイフルな気持ちを原動力に生まれていく新たな共同体では無いかと思っていて。
上松:まさにこれからの村の概念ですね。クラウド上でプラットフォームを作ることで場がリアルとバーチャルでシームレスになるというところが。

丑田:暮らしの中に、公でも私でもない「コモン」がもっと増えたらいいなと思っています。コモンズとしてシェアするのは古民家じゃなくてもよくて、山、温泉、食堂、農地、住宅など有形資産かもしれませんし、はたまたバーチャル上の無形資産かもしれません。
物理的な行政区や住民票を越えて多様な人が集う新たな「村」が生まれたり、一人が複数の「村」に所属することも当たり前となっていくと思います。

上松:ところで、デジタルが過ぎるとかつてのセカンドライフみたいになるのでしょうか。
丑田:「あつまれどうぶつの森」で放課後にバーチャル空間で集まる子どもたちを見ていると、リアルな空間とシームレスになっていくように感じますね。
上松:私は大震災で村を離れてそこでプツっと人間関係が切れるのっておかしい、と思っていたんですよね。誰かクラウド上でもプラットフォームを作って何かできなかったのかなと思います。色々とすごいですよね、将来ブロックチェーンみたいにするんですか。
本来ならそういったスパイラルを地域でまわして還元できたらと思うんですよね。
丑田:そうですね。まだまだはじまったばかりの取り組みですが、このプラットフォーム自体をコモンズとして、参加してくださる方々と共に育てていきたいです。

*1 近未来研究会は2015年に発足(岸田徹代表)。未来がどうなるかという予測と、未来をどうつくっていくかという構想の2つの側面で未来を考え、10年ないし15年後程度の近未来にしぼり、日本の未来シナリオについて自由闊達に意見交換をする場である。
近未来研究会メンバー(2021年8月現在:敬称略)

  • 粟飯原理咲 アイランド代表取締役(「おとりよせネット」「レシピブログ」「朝時間.jp」など主宰)
  • 荒木貴之 ドルトン東京学園中等部・高等部校長
  • 石原昇 ロボット革命イニシアティブ協議会有識者メンバー、名古屋商科大学客員教授
  • 上松恵理子 武蔵野学院大学准教授(ICT 教育、コンピュータ・リテラシー)『小学校にプログラミングがやってきた! 』『小学校にオンライン教育がやってきた! 』など
  • 丑田俊輔 プラットフォームサービス代表取締役、ハバタク代表取締役
  • 岸田徹(本研究会代表)ネットラーニンググループ代表、一般財団法人オープンバッジ・ネットワーク代表理事、NPO 法人 Asuka Academy 代表理事
  • 北原まどか 特定非営利活動法人森ノオト理事長
  • 久米信行 iU 情報経営イノベーション専門職大学教授、多摩大学客員教授、明治大学講師、未来学会理事、久米繊維工業相談役『すぐやる!技術』など
  • 阪井和男 明治大学法学部教授(情報学、情報組織論、複雑系科学、場の言語学、死生学など)
  • 下川和男 イースト取締役会長、日本電子出版協会副会長
  • 関口和一 MM 総研代表取締役所長、日本経済新聞客員編集委員(元編集委員・論説委員)、法政大学大学院客員教授、国際大学グローコム客員教授
  • 高橋明子 (株)エンパブリック、亜細亜大学都市創造学部非常勤講師、総務省地域情報化アドバイザー
  • 田辺恵一郎 プラットフォームサービス相談役
  • 坪田知己 元日経メディアラボ所長、『2030 年メディアのかたち』『21 世紀の共感文章術』など
  • 服部桂 元朝日新聞ジャーナリスト学校シニア研究員 近著『VR 原論』、『マクルーハンはメッセージ』、訳書『<インターネット>のつぎに来るもの』など
  • 藤元健太郎 D4DR 代表取締役社長、関東学院大学非常勤講師、Plantio 共同創業者、日経 MJ で「奔流 e ビジネス」連載、『ニューノーマル時代のビジネス革命』
  • 村上憲郎 元 Google, Inc.副社長兼グーグル株式会社代表取締役社長、ネットラーニングホールディングス社外取締役、『クオンタム思考』
  • 校條諭(本研究会コーディネーター)メディア研究者、ネットラーニング HD 社外取締役、NPO 法人みんなの元気学校代表理事、『ニュースメディア進化論』
  • 山田昌弘 中央大学文学部教授(家族社会学)、読売新聞人生案内レギュラー解答者、『結婚不要社会』、『新型格差社会』など
  • 米山公啓 作家・医師、著書 300 冊以上、近著『長生きの方法〇と×』、『幸せ運ぶコーヒータイム』、『看取り医独庵』(ペンネーム根津潤太郎)
  • 事務局他

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「WCCE2022」日本開催決定の背景【後編】


前編では、世界で4年に一度開催される「WCCE (World Conference on Computers in Education) 」が2022年に日本で開催されるということについてご紹介しました

WCCE 2022 公式サイト
https://wcce2022.org/

齋藤先生が情報教育に興味を持ったきっかけ

齋藤俊則先生

上松:齋藤先生は慶応大学のSFCご出身ということですが、慶応大学を受験されたきっかけというのは何でしょうか?
齋藤:僕はSFCの2期生なんです。総合政策を扱っていて興味に近いと思ったのです。もともと文系なんですよ。
上松:私がまだ中学校の教員だった頃にお目にかかったんですよね。きっかけがメディアリテラシーの研究ですね。先生のご著書「メディア・リテラシー」も拝読させて頂きました。私が当時関心を持っていたメディア論の話ができる方がいてうれしかったのです。
実際、修士論文はそれをもとに書きました。記号論の話やデビッドバッキンガムの話だけでなく、スチュアートホールなどのカルチュラル・スタディーズの話に花が咲きましたよね。当時、研究室では原著でデビッドバッキンガムの輪読をしていました。
先生が大学に入られて情報教育の方向に向かわれたのはどういったきっかけだったのでしょうか。

齋藤:もともと法学に興味があったのですが、たまたま高校の時に記号論の本を読んでいて、慶応のSFCに入った後、修士から論文などで情報教育のことを書き始めたんです。
認知の視点と社会の両方の視野を入れたものですね。情報教育で自分が言っていたのは、コンピュータを扱うだけではナローな部分しかない。情報の中身や流通などの部分や、社会のコンテクストを視野に入れることが大事であると言っていたのです。情報の発信と消費の間の非対称性、言い換えれば情報の背後にある権力構造の問題をいかに学び手が意識できるかが、情報教育にとって大切であるということを考えていました。
上松:斎藤先生と私との共通の話題があの当時、とてもたくさんありましたね。
私もその後、イギリスに行き原書でスチュワートホールの本をたくさん読みたいと思って、まずはロンドンの本屋さんに行きました。店員がなかなか対応してくださらなかったので発音が悪いのかなと思いましたら、実際、ホールは当時、あまり出版はしていなかったようでした。
研究者の間ではたくさん読まれていたホールのカルチュラル・スタディーズもあの本がメインだったのでしょうか。いつか、また海外の論文の話で昔のように盛り上がりたいですね。今は付箋だらけで研究室に置いてあります。

「WCCE」の開催、企業にとってのメリットとは

上松:さて脱線してしまいましたが、WCCE開催について。教員以外にメリットはありますか?
齋藤:企業にとってのメリットは、教育の場にどういうニーズがあるのか、どういうことをすると教育の場で喜ばれるかの傾向がわかることです。日本だけのドメスティックな中にいるよりもアイデアが浮かぶでしょう。
海外の教育企業とも交わることができ、どんなプロダクトがあればハッピーなのか、ニーズの動向をリアルに見ることができて視野に入れることができる。具体的なヒントをもらえるネットワークも得ることができ、研究者や同業の企業との付き合いもあります。
日本からプロダクトを輸出しようという話もできますよね。
上松:そうですね。日本には教材をひとつとってみても素晴らしいものがたくさんあります。しかし日本語なので、海外で注目されないんです。これが英語に翻訳されたり海外で紹介されたりすれば良いのに、と思うことがよくあります。
確かに、日本に居ながらにして海外の企業とも話ができるし、ニーズがわかりますね。

齋藤:海外の教育政策についての情報交換ができるしネットワークもできます。ユネスコやEUの方々とつきあえるし、日本の教育政策は色々な国から見てどう評価されるのか、フィードバックとしては大事なのではと思います。
海外から入る情報を見つつ、失敗例などを含めてイノベーションのきっかけを得ることができるのではないでしょうか。
願わくば、日本が国際的に発信をして、「日本で生まれた研究や知恵は役立つ」というコミュニケーションが機能すればよいのではと思います。こういう分野で発言をしてプレゼンスを持たなければならないと思います。
上松:韓国では海外に研究授業を発信するという事例がありますね。日本は公立小学校の研究授業を学校現場から世界に発信するということはほとんどありませんし、研究授業はかなり前から優れたものがたくさんあるのに、それが紙ベースなのがもったいないですね。教務室に報告集などが置いてあって、宝なのに埃をかぶって山積みになっているところもあります。先生方の英知が集まっているのに残念ですね。
齋藤:教育の研究はドメスティックな課題解決が少なくありません。日本国内の教育動向にフォーカスが当てられるとは思いますが、やってみたことが日本の中で役立つだけではなく、皆の役に立つということもあると思います。

世界の教育者と交流できる「WCCE」

上松:どんな先生に参加してもらいたいですか。
齋藤:情報教育に携わっている小中高の先生に発表をしてもらいたいですね。しかし発表しなくても聞くだけでもたくさんの刺激が得られると思います。プレイベントで教員免許更新講習を開く予定ですが、その中に海外の先生と交流する企画を入れようと思っています。
上松:じっくりと、世界の教育者と日本で触れ合う機会もあるのですよね。
齋藤:はい、懇親の場もあり、とても良い機会になると思います。

上松:発表のためにはどんなことが必要ですか?
齋藤:ショートペーパーは6枚以内、デモを中心にやる場合は文章が短くてもOKです(2枚以内)。
大学の先生には教育の情報技術に関わる幅広い研究、技術を教育に使ったという話、学習データの活用、教育のシステム作りの観点で貢献したものなど。教育の本道を言うと、コンピュテーショナル・シンキングやカリキュラム体系などですね。教育の専門家からコンピュータやコンピュータサイエンスの専門家も入って、一同に会して対話の場を作りたいと思っています。
上松:それは楽しみです。これから色々と大変なことも多いかと思いますが、どんどん協力者を増やして、大成功になると良いですね。引き続き応援しています。

世界の方々が集まる4年に1度の大規模イベント「WCCE2022」開催国のトップとして、齋藤先生から色々な情報を伺いました。これまでもたくさんの方々がこのイベントに関わってきましたが、今後は全国の先生方、企業の方々、そして政府なども関わってどんどん輪が広まると良いと感じました。

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「WCCE2022」日本開催決定の背景【前編


4年に1度開催される国際カンファレンス「WCCE (World Conference on Computers in Education) 2022」が日本で開催されることになりました。場所は広島の国際会議場にてハイブリッド開催となります。今回は、その立役者となった運営委員長である齋藤俊則先生にインタビューを行いました。

WCCE 2022 公式サイト
https://wcce2022.org/

上松:「WCCE2022の日本開催決定、おめでとうございます!」という話をしたのがコロナ前でしたね。その後、1年延期となり、来年にハイブリッド開催ということになりました。
ワクチンもその頃には行き渡っていると思いますし、良かったですね。私も日本の開催国組織委員[1]に就任させていただいたことで、これからどんどん色々なところで紹介していきたいと思っています。
齋藤俊則先生(以下、齋藤):WCCEは色々な国[2]でこれまで開催されてきました。アジアからの参加者も多いですし、それこそ世界中から学校の先生方をはじめ様々なステイクホルダーが集まります。研究者はもちろんですが、小中高校の先生、政府や自治体の教育委員会などの機関や企業の方々が一同に介する機会です。イギリス、北欧、ヨーロッパ、オセアニア、北米、中南米(ブラジルやコスタリカなど)、アカデミックな学会という意味だけではなく、色々な人が関わるんです。アフリカの方々などには渡航に対するファイナンシャルサポートもあるんですよ。
上松:すごいですね!何年か前にイギリスのBETT(British Educational Training and Technology)に行った時に、あれは企業がメインだったのですが、先生方も児童生徒も来ていてびっくりしました。先生方は出張で来ているようで、北欧やフランスなどからもいらしていましたし、一緒に児童生徒を引率してまるで修学旅行のようでした。しかし、今回のWCCEは国際的で、まるでオリンピックのように4年に1回開催されるというすごいものですよね。
齋藤: IFIP(International Federation for Information Processing)の下にあるテクニカルコミッティ(技術委員会)3、略してTC3といいますが、これは情報教育と教育の情報化のエリアをカバーする教育に特化したテクニカルコミッティで、それがWCCEを担ってきたんです。
IFIPは情報処理国際連合といって、1960年に国連ユネスコの提案で各国のコンピュータや情報処理の学会が集まって結成されたのですが、情報処理研究の振興とその成果の世界的な普及をミッションとする国際機関であり、特に情報処理技術の研究参加や成果の享受において、途上国を取り残さずに公平に行われるための条件づくりなどに熱心に取り組んでいます。単にコンピュータの技術を研究するだけでなく世界にコンピュータ技術の恩恵を広めていく機関なんですね。
TC3は教育に特化しているので情報技術の理解などを広めていくことがテーマとなっています。
上松:なるほど、世界の情報関係の学会が入っていて、日本は情報処理学会がそれにあたるのですよね。
齋藤:はい、情報処理学会は1960年に日本にそういう情報技術の学会がまだなかったということで、そこで学会を作ったんです、それが今の情報処理学会のスタートとなっているんです。
上松:そういういきさつだったんですね。今では情報系の学会の中では日本最大級、会員も2万人近い学会へと成長しましたね。

齋藤:IFIPのフラグシップカンファレンスであり、これまでTC3が開催してきたWCCEは1970年にオランダのアムステルダムで第1回が開催されているんです。ここでも、研究者はもとより、教員と政策を作るポリシーメイカー、日本で言えば文部科学省、政府の官僚やユネスコの方やEUの教育とコンピュータに携わるあらゆる人が集まりました。
上松:それは、学校の先生方にとってのメリットが多いですね。広島にも多くの先生方に集まって欲しいですね。
齋藤:メリットはとても多いです。世界の教育の現場の声を聞いて質問をしてやりとりする機会がある。教育に関心の高い人が大勢集まる場所ですからね。

WCCE 2017 in Dublin の様子

[1]日本の開催国組織委員
【委員長】萩谷昌己(東京大学 大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻兼理学部情報科学科 教授)
【委員】稲見昌彦(東京大学 先端科学技術研究センター 教授)
【委員】上松恵理子(武蔵野学院大学 国際コミュニケーション学部 准教授/東京大学先端科学技術研究センター客員研究員)
【委員】大岩元(慶應義塾大学 名誉教授)
【委員】柏原昭博(電気通信大学 大学院情報理工学研究科 教授)
【委員】熊平美香(昭和女子大学 ダイバーシティ推進機構キャリアカレッジ 学院長)
【副委員長】斎藤俊則(星槎大学 大学院教育実践研究科 准教授)
【委員】鈴木寛(東京大学 公共政策大学院 教授/慶應義塾大学 大学院政策メディア研究科兼総合政策学部 教授)
【委員】高橋尚子(國學院大学 経済学部 教授)
【委員】竹内郁雄(東京大学 名誉教授)
【委員】美馬のゆり(はこだて未来大学 システム情報科学部 教授)
【委員】村井純(委員慶應義塾大学 教授)
[2]World Conference on Computers in Education (WCCE)

  • 第1回/アムステルダム/1970年
  • 第2回/マルセイユ/1975年
  • 第3回/ローザンヌ/1981年
  • 第4回/ノーフォーク(バージニア州)/1985年
  • 第5回/シドニー/1990年
  • 第6回/バーミンガム/1995年
  • 第7回/コペンハーゲン/2001年
  • 第8回/ケープタウン/2005年
  • 第9回/ベント・ゴンサルベス/2009年
  • 第10回/トルン/2013年
  • 第11回/ダブリン/2017年
    wcce2021@gred.seisa.ac.jp

企業の皆様へ
現在、WCCE 2022 の開催にあたり協賛企業を募集しております。この会議のより良好な実施に向けてご協賛賜れば幸いです。協賛条件及び連絡先などの詳細は以下の資料をご覧ください。
WCCE 2022 説明パンフレット(PDF, 894KB)
WCCE 2022 スポンサーのお願い(PDF, 954KB)

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これが日本のデータサイエンス教育標準カリキュラムだ!【後編】


前回はデータサイエンス・カリキュラム標準策定のいきさつについてでしたが、今回の後編ではこれに関わる社会的背景も含めて、佐賀大学の掛下 哲郎先生に引き続きお話を伺いながらご紹介いたします。

[プレスリリース] データサイエンス・カリキュラム標準(専門教育レベル)の公開
https://www.ipsj.or.jp/annai/committee/education/public_comment/kyoiku20210415.html

データサイエンス教育がもたらす未来とは

上松:「コンピュータを忠実な道具として人間が使いこなす」ということは、人口減少の日本では必須なことですよね。
掛下先生(以下、掛下):人口減少、特に少子高齢化の影響は既に出始めていますね。年金問題もそうですし、定年延長もそうです。60歳を超えても仕事をすることが求められる時代になりつつあります。肉体労働が必要な仕事は、コンピュータが制御するロボットが行うようになるでしょう。その中で、人間は独創性を発揮したり、責任を負ったり、人と人をつないだりといった、コンピュータではできない役割を担うことが求められるようになると考えています。
そのためにはコンピュータを道具として使いこなす能力が求められるわけです。データサイエンス教育が注目を集めているのは、それがビジネス上の収益を生み出すことが期待されている面も当然ありますが、ソーシャル・イノベーションを起こして社会全体を変革し、人間がより人間らしく生きられるような社会を創るためでもあると考えています。
上松:ヨーロッパでは、デジタル人材を育てることの歴史は日本より長いと思いますね。そもそも海外からの移民で成り立っていますから、人材確保の面ではどうしてもデジタル人材が必要だったという背景がありますね。
掛下:今のヨーロッパでは若年層の失業率が増えていて、大学を出ても仕事がないし、仕事を作り出さねばならないという国が増えていますね。20代の若者から見ると、親の世代が社会の中核を担っていますから、自分たちの子供たちに職場を確保したいということが、政治でも経済でも重要視されます。データサイエンティストなどのデジタル系の人材を育成しなければならないということは、こうしたことが背景になっています。

上松:それが、私たちが翻訳し参考にしたEdisonプロジェクトの背景ですね。日本の場合も若年労働者人口は少なくなってくるので他人事ではありませんね。

「モデルカリキュラム」と「スキルチェックリスト

掛下:情報処理学会でカリキュラム標準J17について検討した時に、データサイエンス分野についても検討WGを作りました。しかし当時は、標準的な取り組みとして参照できるものがありませんでした。私はスタンフォード大学を訪問してACMのComputer Scienceカリキュラムの主査をされた先生の話も伺いましたが、データサイエンス教育を実施している学科は、数理統計学を基盤とするもの、データベース技術を基盤とするもの、AI技術を基盤とするものなどがあり、それぞれ中身が全然違うという状況でした。
上松:もちろん当時の日本にもなかったですよね。
掛下:はい。2017年時点ではそうでした。しかし、2019年に政府がAI戦略2019を出して数理・データサイエンス・AI人材の育成目標を打ち出してからは状況が変わってきました。
数理・データサイエンス教育強化拠点コンソーシアムは、政府とも連携して、すべての大学生を対象とするモデルカリキュラム(リテラシーレベル)を策定し、2020年3月に公表しました。また、2021年3月には大学生の約半数を対象とする応用基礎レベルのモデルカリキュラムを公表しています。
これらのモデルカリキュラムはデータサイエンス分野を扱っています。しかし、一般教育を対象としているため、リテラシーレベルで2~4単位、応用基礎レベルで4単位程度と、ごく小規模なものに留まっています。これに対して、情報処理学会のデータサイエンス・カリキュラム標準は、データサイエンス分野の専門教育を対象としており、単位数も60単位規模と、内容も大幅に拡充してあります。
IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)はDX人材の育成を推進するためにITSS+を策定しています。この中にもデータサイエンス領域が設定されていますが、そこで参照されているのが、データサイエンティスト協会が策定しているスキルチェックリストです。

情報処理学会は、認定情報技術者制度(CITP)という高度IT技術者を対象とする資格制度を運営しています。データサイエンス・カリキュラム標準を策定するに当たっては、このカリキュラム標準に基づいた教育を受けた学生が、将来はデータサイエンティストとしてCITP資格を取得できるように、データサイエンティスト・スキルチェックリスト(★レベル)を参照しています。また、データサイエンティストにCITP資格を付与するための準備も進めています。

海外のデータサイエンス・カリキュラム標準策定

上松:データサイエンス分野のカリキュラム策定は海外でも進んでいますよね。
掛下:はい。欧州ではEdisonプロジェクトが進んでいます。このプロジェクトでは、データサイエンティストに求められる能力を明確化した上で、それを踏まえてデータサイエンス教育を設計しよう、という思想になっており、DS-BoK(Data Science Body of Knowledge)が整備されています。また、大学の専門学科でデータサイエンス教育を行う際の標準的な時間数の目安も知識領域(Knowledge Area, KA)毎に示されています。
情報処理学会でデータサイエンス・カリキュラム標準を策定する際にはこれらを参照しました。ただ、教育内容や達成度が十分には具体化されていないため、カリキュラム標準を策定する際には、その部分を補強する必要がありました。
米国では、世界最大のコンピュータ学会ACMがデータサイエンス分野の標準カリキュラムの策定を進めていました(http://dstf.acm.org/)。2021年1月に最終版が公表されたのですが、数理統計分野やビジネス分野に関する内容が乏しいことや、データサイエンティスト資格との連携がない点が課題としてありました。そこで、情報処理学会でデータサイエンス・カリキュラム標準を策定する際には、これらの点について拡充を図りました。また、Edisonプロジェクトの成果も参照しながら、教育項目毎に標準的な時間を割り当てました。
こうした取り組みを通じて、情報処理学会のデータサイエンス・カリキュラム標準は、国際的に見ても同等性が確保されています。様々な取り組みの良い点を取り入れることで、これが可能になりました。もちろん、日本における大学教育の現状などを踏まえて、いくつかの修正を施してあります。
既存のものをベースに考えて日本に合わせている素晴らしいものになりましたね。
掛下:ありがとうございます。既存の取り組みをベースに組み合わせることで得られるメリットはたくさんあります。国際的通用性の確保もその一つですし、根拠が明確なので、合意を得やすくなります。ただ、異なる取り組みを統合する過程で、色々な調整も必要になりました。データサイエンス教育委員会での作業の多くは、この部分に費やされたと思います。

オンラインを活用したデータサイエンス教育の拡大

上松:ありがとうございます。そろそろ終わりに近づいてきましたが、最後に一言頂きたいと思います。
掛下:これからの課題は、策定したカリキュラム標準を大学に広めることが挙げられます。その際には、大学が個別に取り組むのではなく、オンラインで連携して取り組むのが良いのではないかと考えています。日本だけではありませんが、新型コロナウィルス感染症をきっかけにして、オンライン教育が大学に普及しました。同期型のライブ授業、非同期型のオンデマンド授業、進んだ大学ではハイフレックス授業などのハイブリッド授業に取り組んでいるところもあります。
オンライン授業の技術を活用することで、異なる大学の学生が、空間や時間の壁を超えて同じ授業を受けることができます。また、複数の大学の先生が協力して授業を分担することも可能になります。
文部科学省は大学設置基準を改正して、複数の大学が連携して科目や教育プログラムを開設できるようにしました(大学等連携推進法人)。著作権法も改正され、授業目的での公衆送信(インターネット配信)が行いやすくなりました(授業目的公衆送信補償金制度)。こうした制度を活用して、大学間の遠隔連携が進むことを期待しています。
上松:掛下先生ありがとうございました。委員長の加藤先生(放送大学)をはじめとしてデータサイエンス教育委員会の皆様、お疲れ様でした。

掛下哲郎先生と筆者、インタビューの様子

データサイエンス教育に関するスキルセット及び学修目標 | 数理・データサイエンス教育強化拠点コンソーシアム

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これが日本のデータサイエンス教育標準カリキュラムだ!【前編】

今回の当コラムでは、今年4月に策定されたデータサイエンス・カリキュラム標準について取り上げます。これは一般社団法人情報処理学会のデータサイエンス教育委員会が作成したもので、筆者もデータサイエンス教育委員会のメンバーです。今回はこちらの紹介とそのいきさつをご紹介します。

[プレスリリース] データサイエンス・カリキュラム標準(専門教育レベル)の公開
https://www.ipsj.or.jp/annai/committee/education/public_comment/kyoiku20210415.html

データサイエンス教育委員会の副委員長として、方針策定や取りまとめを担当された佐賀大学の掛下 哲郎先生にインタビューしました。掛下先生とは様々な委員会で一緒に仕事をしており、文部科学省の委託事業やIEEEの国際会議でも共著論文があります。

データサイエンス分野におけるカリキュラム標準の検討

上松:私は委員会メンバーとして、意義あることと思いながらも、海外の資料の分析との突き合わせなど仕事量が多くて大変でした。委員会での議論だけでは難しく、メンバーがグループに分かれて作業を進める必要があり、資料も全て英語だったため苦労しました。コロナ禍で私の担当授業が全てオンラインになり、移動などがなかったため、こんなにも膨大な作業がなんとかできたのかもしれません。
しかし掛下先生は加藤委員長と一緒に、まとめ役としても大変だったのではないかと思います。いつ頃からでしたか、データサイエンス教育委員会でやろうということになりましたね。
掛下先生(以下、掛下):本格的に着手したのは昨年夏でした。情報処理学会では,1990年からおおむね10年に1回、情報分野の大学専門教育に関するカリキュラムを出してきました(下記)。

カリキュラム標準-情報処理学会
https://www.ipsj.or.jp/annai/committee/education/j07/ed_curriculum.html

それ以前は、日本国内で広く使われる情報分野の標準カリキュラムはなかったのです。
数学、物理、機械工学、電気工学など、長い歴史を持ち確立した学問体系がある分野では標準カリキュラムを学会が策定する必要性は高くありません。しかし、情報分野は急速に発展しており、専門家も少なかったので、大学で情報工学や情報科学をしっかり学んで博士の学位を取った先生もおられる一方で、それ以外の分野の研究者で、プログラミング経験のある方が情報分野の教員として教育を担当されている場合もあります。高校でも教科・情報の教員免許を持っている先生が少ないのですが、これと同じような状況が大学にもあります。
その後、1997年にJ97、2007年にはJ07というカリキュラム標準を出しました。情報分野における専門教育の質保証を推進するためにJABEE(日本技術者教育認定機構)に協力して専門教育プログラムの認定に取り組みました(アクレディテーション委員会)。情報専門学科の教育内容を専門家がしっかりレビューする仕組みを作ったわけです。

データサイエンス教育の検討が進んだのはここ5年位です。情報処理学会は2017年にカリキュラム標準J17を策定しました。その時にデータサイエンス分野のカリキュラム標準を検討しましたが、当時はまだ取りまとめができる材料が不足していました。しかし、その後、EdisonやACM、データサイエンティスト協会等、国内外でデータサイエンス分野の教育・人材育成に関する様々な取り組みが進んだので、カリキュラム標準としての取りまとめが可能になりました。これらの取り組みを推進してこられた方々には深く感謝しています。

ビッグデータ、AIの拡がりとデジタル化の推進

上松:メンバーでご一緒させて頂いた松尾豊先生(東大)も人工知能の分野で進化があったということを伺いましたが、この分野は急激な進化ですよね。
掛下:はい。歴史的にはビッグデータが2005年あたりから流行っていました。しかし学問分野としては系統的なものではありませんでした。当時はデータベースの新分野という意識が強かったと思います。「ビッグデータ」をバズワードとみなす専門家もいました。新しい言葉だったことと、GAFAなどが利用者から収集したデータの分析で新しいサービスを作り始めた頃ですね。データ分析のノウハウは企業側にあり、国際会議等では成果が報告されていましたが、体系化は進んでいませんでした。また、マネタイズの観点からビジネス界の注目も集まり始めました。
上松:各自治体などでもオープンデータが始まった頃ですよね。
掛下:政府にしても地方自治体にしても税収が減少しています。だから人員削減に取り組む必要があるわけです。しかしやるべき仕事は増えてきている。オープンデータもそうですが、デジタル化の推進はそれを後押しすることになります。私が住んでいる佐賀県は人口も少なく、有力な企業も少ないことから、財政的には厳しい状況がずっと続いてきました。多くの人達がこの状況を改善しようと考えて、電子県庁や電子市役所の取り組みが10年以上前から進みました。
政府レベルではようやくデジタル庁の取り組みが始まりましたが、それだけ財政的には余裕があったのだと思います。総務省だけでなく、色々なサービスを提供するに当たって、人間のかわりにコンピュータを使うことが効果的かつ費用も少なくて済むということです。

上松:エストニアや韓国もそうですよね。
掛下:はい、エストニアや韓国等でデジタル化が進んできたのは、それぞれに困難な状況を克服しようと努力した結果だと思います。地方でIT化が進むのも、経費節減の面と、デジタル化によるサービス品質の向上の面があると思います。
行政のデジタル化が進んでくると、データをいかに集めて利活用するか、という視点が大事になります。GAFA[1]もコンビニも顧客からデータを集め、的確に分析して活用することで収益を生み出しており、同時に様々な仕事をコンピュータにさせることで人手を減らしている。コロナ禍をきっかけに大学ではオンライン教育が普及しましたが、これを通じて収集した教育データも、今後の大学教育に大きな影響を与えるでしょう。こうした努力の結果としてDX(デジタルトランスフォーメーション)やSociety 5.0[2]が進むのだと思います。
こういう話をすると、「人間の仕事をコンピュータが奪う」とおっしゃる方もおられるでしょうね。しかし、コンピュータが苦手な仕事はたくさんあります。コンピュータを人間に忠実な道具として使いこなせるように、人間にはしっかり学んでいただきたいと思います。

[1] GAFA
アメリカの主要IT企業4社の総称。Google、Amazon、Facebook、Apple。
[2] Society 5.0
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)
(内閣府のサイト https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/ より引用。閲覧日:2021.6.10)

教育連載コラム―未来への戦略-

こどもたちが集うプログラミングコミュニティ【後編】

「CoderDojo Kashiwa」の様子

「本とレゴとコンピュータ」の幼少期

上松:今、色々なところでプログラミング教育を実践され脚光を浴びている宮島さんですが、どんな幼少期を過ごされたかを聞かせていただけますか。ICTの話とは関係なく、教育学者として気になっているところです。
宮島:幼稚園の頃から、アドラー心理学をベースにしたカリキュラムでレゴブロックを教えてもらえるスクールに月に2回~4回ほど、中3まで通っていました。柏から新浦安まで片道50分くらい。10年以上ですね。これが原体験です。
上松:それはご両親も大変でしたね。何か教育方針などはありましたか?
宮島:教育方針というか、実際、家には「本とレゴとコンピュータ」しかなかったんです。家庭用ゲーム機とかマンガはほとんど無かったですしテレビも観ませんでした。
上松:「家庭用ゲーム機とマンガとテレビ」って欠かせないくらいですよね。本はコンピュータ関連の本ですか?

宮島:いえ、それこそ小さい頃なので絵本とかもありましたし、子どもの読む小説とかもありましたし、とにかく本は家に大量にありました。
上松:私も本をとにかく読めと言われて、読書量はすごかったです。高校3年生までは本は好きなだけ買うことができました。当時「つけ」ということができたので、父の名前を本屋さんでいえば買うことができました。小学生の時は自分の部屋にある本に、日本十進分類法に基づいて自分で小さな紙に番号をつけて、本の背表紙の下にセロテープを貼って順番に並べていました。インターネットはなかったし、昔はテレビのチャンネル権が親にあってあまり見せてもらえなかったのと、一人っ子だったので本を読むしかなかったんです。

自由な校風だった中学生~高校生時代。高校1年生で立ち上げた「CoderDojo Kashiwa」

宮島:中学校は目白にある学習院中等科に通っていました。
上松:私は車で良く通ります。高等科の桜がとてもきれいですよね。
宮島:学習院の院章が桜なんですよ。学習院では校章のことを院章と言うんですが。学習院は中学校から高校までは男女別学なので、僕は男子校出身です。男子部の高等科はけっこう自由な校風でとても良かったです。もう中学校から12年同じキャンパスにいます。
上松:私はステレオタイプのイメージを持っていましたね。高校が自由な校風だから良かったんですね。
宮島:はい、あまり人のことには干渉しなくて好きなことができたんです。それで高校1年生のときにCoderDojo Kashiwaを立ち上げたんです。
上松:高校生が立ち上げるっていうのはすごいですね。
宮島:はい、地元の小学校の同級生と一緒に立ち上げました。その背景として、中学3年生の頃、アメリカのボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)で開催されたScratchのカンファレンスに行ったことがあります。中等科から高等科に進学するときには受験がなかったので、中学3年生の夏休みという時期でも参加することができたと記憶しています。そこで、CoderDojo Tokyo(現 CoderDojo 下北沢)を立ち上げた方から話を聞き、自分も申請したんです。いま思えば、この中学3年生の夏休みが転機だったと思います。
上松:アイルランドにあるCoderDojo Foundationに申請するのは大変なのですか?
宮島:今ではコミュニティ有志の方々のご協力のおかげで申請フォームが日本語化されていますし、CoderDojoの憲章や、ルールも明確になっています。CoderDojoはフランチャイズではないので、憲章やその他のルールに同意さえすれば立ち上げることはできます。特徴的なのは料金を徴収しないことです。教室をやっている感覚はない。子どもから大人まで世代を超えて好きな人が集まるというイメージです。
CoderDojoは学習塾とは違って、公園のような場所だと思っています。テーマパークのようにデザインされた楽しさとは違う楽しさがある場所です。なので、カリキュラムに沿って学ぶ教室とは本質的にコンフリクトしないと思っています。どちらも楽しいよね、というスタンスです。
こういった背景から、高校1年生の頃にCoderDojoを作ったんです。

コロナ禍で CoderDojoをどう開催していくかは重要な課題です。例えば、CoderDojo Foundationは、全世界的にZoomのアカウントを提供して、オンライン開催のための環境を整えていたりします。しかし、個々のCoderDojoの運営は独立しているので、必ずしもオンラインでやらなければならないか、というとそうではありません。
日本国内には2021年4月現在、222以上のCoderDojoがあります。これほど大きなコミュニティになると、どんなことが起こっているか把握するのが難しくなってきます。コミュニティの取り組みとしてDojo Letterというメルマガもあります。国内の情報をまとめて発信する取り組みです。
CoderDojoが始まったアイルランドでは街を歩くと、ここにも、ここにもってあるんですよ。
上松:さすが、アイルランドは多いですね!
宮島:実は日本は、それより多くあるんですよ。地域で自分の意思で自発的に始めることが大事。1つ1つは独立しています。

これからの目標について

上松:最後に、今年の目標を教えて頂けますか。
宮島:今年は修士論文を書きたいですね。学校におけるコンピュータの創造的な活用を質的に調査するような研究をしています。プログラミング教育やICT教育全般に言えることですが、ほとんどの論文や書籍がツールの紹介に終わっており、より本質的な子どもたちの学びがどう変化したか、LX(Learning Experience = 学びの質)はどう高まっているのかを言わなければ、学校に浸透していくことはまずないと考えています。だからこそ、「創造的な使われ方」をしている授業を見てそこで起こっている、学びの事実からICT活用の利点を描ければと思っています。
また、会社の取り組みで言えば、プログラミング教育やICT教育を推進したい自治体や学校との協力をしっかりやっていったり、子どもをターゲットにした商品開発やイベントなどを企画されている企業さんとのコラボをやっていきたいです。

宮島さんからは、新しい教育の価値を生み出していくエネルギーを感じました。高校1年生でCoderDojoを立ち上げ、高校2年生の冬に会社を立ち上げた宮島さん。TEDxKidsに登壇し注目されてから、どんどんパワーアップされていて、益々今後の活動やイベントが楽しみです。

宮島 衣瑛(みやじま きりえ)氏プロフィール
株式会社 Innovation Power 代表取締役社長 CEO
一般社団法人 CoderDojo Japan 理事
CoderDojo Kashiwa Champion
学習院大学大学院人文科学研究科教育学専攻 M2
1997年5月生まれ。2013年5月から地元である千葉県柏市で小中学生向けのプログラミング道場、CoderDojo Kashiwaを主催・運営。プログラミング教育を始めとするICT教育全般について、全国各地で実践研究を行っている。教育分野のR&D(研究開発)を行っている株式会社 Innovation Power のCEO。2017年4月より柏市教育委員会とプログラミング教育に関するプロジェクトをスタート。市内すべての小学校で実施するプログラミング学習のカリキュラム作成やフォローアップを担当。2017年11月より一般社団法人CoderDojo Japan理事。大学院ではコンピュータを基盤とした教育について研究している。
(株式会社Innovation Power 公式サイト https://innovation-power.jp/ceo.php より抜粋。閲覧日:2021年5月28日)

教育連載コラム―未来への戦略-

こどもたちが集うプログラミングコミュニティ【前編】

プログラミング教育に関わり、大学院でも研究をされている宮島衣瑛(みやじま きりえ)さん。今回は宮島さんにCoderDojo Kashiwaを立ち上げたきっかけなどについてインタビューしました。前後編でお届けします。

プログラミング教育に対するニーズの高まりと「CoderDojo」の目的

宮島さんが立ち上げた「CoderDojo Kashiwa」

上松:最近はプログラミング教室がたくさん開かれています。学校でも1人1台端末を持つという時期ですし、それだけプログラミング教育に対する保護者の期待が高まっているのではないかと感じますがいかがですか?
宮島:カリキュラムを立ててプログラミングを教えてもらいたい、という保護者のニーズは当然ありますね。しかしCoderDojoはどちらかというと「教えるとか教わる」という場所ではありません。
「子どもから大人まで世代を超えて集まるクラブのような場所」という説明の仕方をしています。
子どもの自発性が大切。子どもたちが自分でやりたいことを実現するためには自発的に動けることが大事です。最初は一緒に使い方を教えるけれども、その先が大事と考えています。
上松:確かにそうですね。自分で自発的・能動的に動けるためには、ある程度、問題意識がないと難しいのではとも思います。
宮島:一応、初めて来た子どもたちには、初回用のワークショップでやるようなチュートリアルなどを用意しています。問題はその後ですよね。世界中のユーザーが作った作品を見ることができるScratchのようなものを使って、どうやって学んでいくかという方法ですね。上手く使えばプログラミングのスキルは上がると思います。

一番良くないのは親に「プログラミングが大事だから行きなさい」と言われて来るケースですね。私たちは子どもの自発性を大事にして能動的に来ることを目的としており、そうなるための手助けはいくらでもしています。

余白のある教育が生むクリエイティビティ

上松:自分のクリエイティビティにトライするのは大事ですよね。学校と塾が同じ感じで代わり映えがしないというのは、子どもの成長も限定的になりますしね。
宮島:塾だと同じ世代とか決められた中から決められたものしか出てこない。偶発性や創造性が大事で「余白」がある中で試行錯誤していくのが大事だと思います。
上松:日本は余白が無さすぎますね。きつきつな感じで親切すぎですね。
宮島:カリキュラムで決めてしまっているというのは仕方ないと思うけれど、指導案とか作ること自体が終わっていると思います。
上松:なるほど、確かに設計図みたいな感じで、その通りに授業が進行するという前提で作られますよね。しかし実際にはそんな先生の期待通りに答えて発言なんてなかなかしないですよね。実際、予定調和的な感じの授業を見たこともあります。児童もそれがわかっていて協力していたりして。

宮島:「指導案通りに行かなかったので困っている」と言われるのですが、それはなんだかおかしいな、と思いますね。そういうところと一線を画しているのが良いかもしれません。
上松:海外はこういう発想が多くて日本と真逆な感じですよね。

女子向けの取り組み

上松:受験生になってプログラミングをやめてしまったり、時に女子などは男子のオタクの世界に圧倒されてやめてしまったりという話を聞きます。こういうケースはいかがでしょうか。
宮島:それは一定数います。女子向けのプロジェクトで言うと、昨年度 CoderDojo Japan として Googleさんとスイッチエデュケーションさんにご協力いただき Girls Initiative for CoderDojo という女子限定イベントを開催しました。Googleで働く女性エンジニアの方からお話を聞いたり、micro:bit と周辺機器を無料で配布したりと、次に繋がる一手になったのではないかと思います。
上松:女子はどこに行っても少ないですよね。こういう取り組みはとても良いですね。
宮島:オンラインになると女子の参加が少なくなるケースがあります。これは仮説なんですが、オンラインだと他者との距離が等しくなるから、自由に距離感を調整できないからかもしれません。物理的な教室だと自分で良い距離感を作ることができるので。
上松:なるほど、そういった仮説があるんですね。先生が女性だと行くかもしれません。私は一人っ子なので男の子がちょっと怖かったです。体つきも口調も違うので、実際にいじめもありましたし。思春期の女子だけのクラスを作ってどちらでも選べるようにしたらよいのかもしれないですね。
先が大事なのではないかな、と思います。将来、どうなりたいのかという流れや将来像があると良いのか。社会の受け皿があると良いと思いますね。これは一般的な社会の課題ですね。

教育連載コラム―未来への戦略-

創作活動が楽しくなるICT教育の再考-その背景とは-【後編】

手芸とコンピュータグラフィックス
五十嵐:そうなんです、コンピュータを使うことで多様なデザインツールを用意することが可能なんですよね。
例えば、ステンシルは、穴の開いたシートを布や紙に重ねて、その上からインクを乗せていくことで、図形をデザインするアートです。オリジナルカードづくりなどでよく使われていますが、このシートは1枚につながっていないといけないので、自作しようとするととっても大変です。
でも、コンピュータを使うと「シートは必ず1つにつながっている」という制約をもたせながらユーザがデザインをしていくことができます。穴が抜け落ちてしまうようなデザインのときには自動的に橋渡しを作ってつなげたりもできます。


「1枚のシートにつながっている」という制約のもとでコンピュータを使ってデザインできるシステム。カッタープリンタでシートを出力できるので便利。


オリジナルビーズデザインのための研究では、すべてソロバン型の4mmビーズを使うことにして、ポリゴンの辺をビーズに対応させると、「すべての辺の長さが等しいポリゴンモデルをデザインする」といった問題になります。辺の長さが同じであれば、シミュレーションで構築できるので、どんなカタチをデザインしたいかといったことをジェスチャーでデザインできるシステムを作りました。


ジェスチャー入力で、ビーズモデルをデザインしていくことができる。


ビーズ細工の製作は1本のテグスで作っていくのですが、システム内部でオイラーグラフを作って、一筆書き理論と対応させて製作手順を計算しています。オイラーグラフは複数の解があって、一番最初に求めた解が作りやすいとは限らないので、ハミルトンパスというものを求めて、すべての面を終わらせていくようなオイラーグラフの解を採用してユーザに提示しています。


ビーズを作っている途中の不安定なビーズをなるべく減らすために、ハミルトンパスを使っている。


ビーズで作成した作品例


こんなふうに、手芸に数学や物理の知識を組み合わせるといろいろと面白いことができます。
上松:すごいですね。最近、手芸は高齢化していて、コミュニティの場所になってしまっている場合もありますよね。コロナでなかなか集まれないということもあるように思います。

五十嵐:そうなんです、集まれない代わりに遠隔でつなぐなど様々な方法をトライしてみたいです。最近、修士課程の学生さんと行っていたポーチデザインの研究で、子どもが形状をデザインするというものだったのですが、自分の描いた絵を印刷して、ポーチの布として使える機能をつけたところ、好評でした。布のデザインは孫、ポーチ製作はおばあちゃんといった遠隔でのコラボもできるかもしれないですね。


ポーチデザインシステムを開発していたが、布デザインのところにiPadでお絵かきした絵を取り込む機能もつけた。製作手順の画面では、その柄を反映した手順提示になっている。

上松:楽しそうですね。世の中のためにもなりそうですね。
五十嵐:手芸や工芸はまだまだデジタル化されていないですし、なかなか継承が難しい部分もありますが、ぬいぐるみ作りや織物・編み物のノウハウを持っている人たちのやり方をうまく取り込むことで、知の継承としてもコンピュータは使えるんですよね。

私のやっている研究は、ぬいぐるみ設計士の仕事を無くすのではなく初心者ができなかったことをできるようにしたい。システムを使って自分でオリジナルデザインで作るのは楽しいということを伝えたい。と思ってやっています。
デジタルが切り拓く、オリジナルな手作り・モノづくりの時代
上松:このご研究はどう発展させていきたいですか。
五十嵐:オリジナルデザインを自分で、というのは海外の学会、シーグラフなどでとても評判が良かったんですよ。
なので、これまで作ってきたシステムは、なるべくメニューなどをアイコンにして、非言語ツールとして国や言語を問わずに使えるように実装しています。
上松:3人のお子様と研究の両立は大変だと思うのですが。
五十嵐:3人だと子どもたち同士で遊んだり、上の子が下をみてくれたりと、親の手を離れて過ごしていることも増えてきました。妹のお人形遊びのためのおうちも、段ボールと布で3人で協力して作っていますし、3人とも料理が好きなのでよく手伝ってくれたりします。3人とも全体的に色々と創作活動していることが多いですね。


家事の中ではクリエイティブな「料理」もよく子どもたちが手伝ってくれています。


子ども部屋用の本棚を協力して組み立てる3人兄弟


インタビューの様子(左:五十嵐悠紀先生/右:筆者)

インタビューを終えて、なんだかほのぼのした気持ちになった。
大量生産廃棄の時代から、地球の資源が限られて居る中、これからは手作りの時代に戻って行くようにも感じる。それこそデジタルを使って手軽にオリジナルなものを作っていく、そういった楽しい世界がICT教育から開けていくように感じた。
1人1台の端末でプログラミング教育がスタートし、学校では2020年からプログラミング教育が必修とされているが、今後はこういったモノづくりにおける創作活動が楽しくなるICT教育を再考する時期にきていると感じた。また、コンピュータとはおおよそ関係ないと思われるものと繋いでいく工学博士ママの取り組みはとても楽しみだ。
五十嵐 悠紀(いがらし ゆき)氏 プロフィール
2010年東京大学工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。
日本学術振興会DC2、PD、RPDを経て2015年より明治大学総合数理学部専任講師。2018年より同准教授。
コンピュータグラフィックス、ユーザインタフェースに関する研究に従事。情報処理推進機構(IPA)未踏事業プロジェクトマネージャー兼任。


参考書籍
縫うコンピュータグラフィックス: ぬいぐるみから学ぶ3DCGとシミュレーション(Amazon)
参考サイト
高校生のためのコンピュータサイエンスオンラインセッション2020 – キミのミライ発見

教育連載コラム―未来への戦略-

創作活動が楽しくなるICT教育の再考-その背景とは-【前編】

今回は、明治大学総合数理学部 先端メディアサイエンス学科 准教授の五十嵐悠紀先生にインタビューをした。
リケジョという言葉があるように日本では理系の先生が少ない中、ICT教育でコンピュータを使うことが私たちにどう関わるのか、どうしてこの研究にたどり着いたのかも含めてお話を伺った。

クリエイティビティに触れた子供時代
上松:五十嵐先生、子どもの頃はどんなことがお好きだったんですか?
五十嵐:手を動かすことが好きでしたね。ピアノをずっと習っていたんですが、他には紙工作をしたり、型紙を買ってきてぬいぐるみを作ったり。テディベアの型紙を買ってきて作ったんですが、実はクマよりどちらかというとウサギのぬいぐるみの方が好きで。それで自分で耳を長くした型紙にアレンジして作ってみたのですが、縫ってひっくり返して綿を入れたらすごく細くなってしまって上手く行かなかった経験もありました。
上松:私も3歳くらいからピアノを習っていましたが、他にはあまり手を動かすことがなかったですね。結婚直後は主婦をしていたので料理以外には洋裁や編み物、パッチワークなども習いましたし、籐で籠や皿などを編んで、ピザを焼いて入れたりしていました。これは母親の影響があるかもしれません。
五十嵐:そう、家では母親の影響ってありますよね。母がよく裁縫をしていて、私の洋服を作ってくれたり、セーターを編んでくれたりしました。お人形の洋服などもよく作ってくれていました。

母手作りのお人形の洋服

母の手編みのセーターを着た子供時代

上松:昔はあまりキットが無かったですよね。そういった点ではクリエイティビティがなんにでも求められましたね。おもちゃでも。お父様の影響はありますか?
五十嵐:父は車の設計をするCADシステムの設計をしていたので、家でもパソコンでプログラミングなどをしていました。会社のファミリーデイに連れていってもらったこともあり、そこで実際のデザインやクレイモデル、衝突シミュレーションなどを見せてもらったことは今でも覚えています。
他には子どもの頃、祖父母の元へ帰省するタイミングで色々なところに連れていってもらって、地理の授業の時には「あ、ここは家族で行った場所だ」、という感じで、暗記ではなく思い出のイメージで覚えていました。

あと「女の子だから」などは言われずに、男女関係なく育てられたのも嬉しかったですね。中高の時も女子校だったので、女の子だからとか考えることがない環境にいました。

金閣寺の前で。拝観料を払ったときにもらえる御札が家に帰ってきたら3枚しかなく、写真を現像したら1枚落としていたお父さん、という思い出とともに「鹿苑寺金閣」を覚えた。

ひいおじいちゃんに教えてもらって作ったわらじ

上松:私も女性だからという育てられ方はしなかったですね、幸い。特に私の時代は大学進学の時に女性は短大か4年生でも家政学部などを勧める親が多かったのですが、父親は「好きな学部に行けばよい、自分の勉強したいことを深めるのが大学なのだから」、と言いました。しかし、中高からもそうだというのはびっくりです。
五十嵐:中高は鴎友学園でしたが、教科の枠を超えての学びを、という学校で、そういった教育は今から振り返ってもとてもよかったと思います。女子校ですが、生物ではウシガエルの解剖をしたり、物理ではハンダ付けをしてラジオも作りました。私は数学が好きだったので高校時代は数学の道に進みたいと思っていました。


情報科学、コンピュータグラフィックス(CG)を志したきっかけ
上松:でも実際は情報科学の世界に行かれましたよね。なぜでしょう。
五十嵐:オープンキャンパスがきっかけなんですよね。高校時代に、色々調べてお茶の水女子大学のオープンキャンパスにいきましたが、真っ先に理学部数学科、次に、物理学科、次に化学科を見ました。最後に同じ理学部の中にある情報科学科を見学に行きました。好きな数学も使えるし、コンピュータも使える、いろいろと横断した研究内容で自分に合っていると思いました。大学での学部選びはオープンキャンパスに行って正解でした。
学部ではコンピュータグラフィックスの研究室に所属し、その後、大学院は東京大学の情報理工学系研究科でユーザインタフェースの研究室に、博士課程は東京大学工学系研究科でCADの研究室に進みました。
上松:その後、筑波大学でのボスドクでも学振(日本学術振興会奨励研究)に採択されたりと順風満帆に見えるのですが、実際は、女子学生がとても少ない世界で、けっこう大変だったのではないでしょうか?

五十嵐:それが幸いなことに、女子中高、女子大学と進んできたので、情報系に女子学生が少ないという事実に気づかなかったんですよね。で、学会に発表に行ったら。あれ?女子ってここまで少ないの?って思いました。
上松:そうなんですね。しかし子供のころの体験が今に生きていますね。手芸の世界やビーズ、最近では伝統工芸の世界もコンピュータと親和性が高いというのは、手芸好きなおばあちゃんたちはびっくりするかもしれません。家庭科でも手芸をすることはあってもそれがどうコンピュータと結びついているのか、と思う人も少なくないですし。最近では決まったキットを使って手軽にするケースが多いですよね、でも皆、同じになってしまうんですよね。
五十嵐:そうなんです、だからうさぎの型紙がなくて耳を作ってなかなか上手くぬいぐるみが作れなかった経験が記憶にあったんですよね。それが今ではCGを使えば、縫ったあとの3次元のカタチを簡単にシミュレートできます。
上松:そうなんですよね、そこでどうカスタマイズできるのか、っていうのは楽しい創作活動に繋がっていきますよね。

図:ぬいぐるみデザインシステムでは、型紙デザインと縫い合わせたシミュレーションをコンピュータで行ってくれるので縫い目を試行錯誤したあとで、実際に縫うことができる。

参考書籍
縫うコンピュータグラフィックス: ぬいぐるみから学ぶ3DCGとシミュレーション(Amazon)
参考サイト
高校生のためのコンピュータサイエンスオンラインセッション2020 – キミのミライ発見

教育連載コラム―未来への戦略-

VRで価値を可視化する-記憶を紡ぎ復興に生かすICT【後編】

前回は、川上さんが金浦空港で首里城消失のニュースを見た2019年、文化財の保存に関するワークショップをやっていて、写真から3次元復元するモデルが既にあったことをアイデアとしてこの首里城のデジタル復元プロジェクトを始められたというお話まで伺いました。

上松:川上さんは東京大学の情報学環にいらしたことがあったんですよね。私も20年前に東京大学の情報学環のメルプロジェクトに関わったことがあり、色々なプロジェクトがあったのですが、そこにさまざまな分野の方々が入っていて、分野横断型の場所は素晴らしいな、と思い今に至っています。
川上:そうですね、メディアや人文学など多分野の先生方からの影響がかなりあると思います。さまざまな人の記憶や想いに価値があると信じられましたし、そのようなものが込められた写真を使って3次元モデルを復元してみたら、何か、焼失にショックを受けた子どもたちに励みになるのかもしれないという思いがありました。
上松:素晴らしいです。こういった記憶のつむぎ方にICTが貢献するというのは感動します。子どもたちの想いを未来に繋いでいくことができると思います。
川上:1つ1つは小さな何の変哲もないものかもしれないけれども、写真を100枚、200枚、と見ていると何ともいえない気持ちになります。たくさん見ていると、これは本当に特別な場所だということを実感します。

上松:けっこう反響があったと思います。私は朝のNHK総合テレビの生放送で拝見しました。朝ってかなりサッとニュースが流れるのですが、じっくり時間をかけて放送されていました。
川上:とてもありがたかったです。知っていただくのが重要なプロジェクトだったので。リリースから合計して、ウェブサイトへのアクセス数が4万ユーザくらいです。Youtubeの動画も1万回再生されました。

写真の投稿は3400サブミッションが集まりましたが、ユニークなのは3000名くらいかもしれない。首里城の写真はみなさんお持ちでないので、20人に1人くらいでお持ちだとすれば、6万人くらいの方には情報が届いたのかなと思います。
上松:やってみて何かわかったことはありますか?
川上:改めて感じたのは、この建物は職人さんが手作りで丁寧に手をかけて作っているということです。構造も複雑なんですよね。それから、集まった記憶のようなコンテンツの中には地域のアピールができるものがあることもわかりました。
上松:すごいですよね、昔の建物は。私も仕事や家族旅行で行きましたが、確かに、観光のパンフレットを見て現地に行って、歴史書として書かれていることはわかるけれども、本当にそこであった人々の昔のことはわからないですね。

川上:そうなんですよね、写真や個人の記憶をみると、パンフレットには書いてないことがわかりますね。わたしたちのモデルを活用したアプリができないかと、別で行っている活動でも、個人の記憶やエピソードに感じ入るものがあるというお話になりました。
(詳しくは下記にて公開されています。)

みんなで見守る首里城復興プロジェクトブレストミーティングレポート(1回目)https://note.com/supportshurijo/n/nc36a23538b61