これが日本のデータサイエンス教育標準カリキュラムだ!【前編】
今回の当コラムでは、今年4月に策定されたデータサイエンス・カリキュラム標準について取り上げます。これは一般社団法人情報処理学会のデータサイエンス教育委員会が作成したもので、筆者もデータサイエンス教育委員会のメンバーです。今回はこちらの紹介とそのいきさつをご紹介します。
[プレスリリース] データサイエンス・カリキュラム標準(専門教育レベル)の公開
https://www.ipsj.or.jp/annai/committee/education/public_comment/kyoiku20210415.html
データサイエンス教育委員会の副委員長として、方針策定や取りまとめを担当された佐賀大学の掛下 哲郎先生にインタビューしました。掛下先生とは様々な委員会で一緒に仕事をしており、文部科学省の委託事業やIEEEの国際会議でも共著論文があります。
データサイエンス分野におけるカリキュラム標準の検討
上松:私は委員会メンバーとして、意義あることと思いながらも、海外の資料の分析との突き合わせなど仕事量が多くて大変でした。委員会での議論だけでは難しく、メンバーがグループに分かれて作業を進める必要があり、資料も全て英語だったため苦労しました。コロナ禍で私の担当授業が全てオンラインになり、移動などがなかったため、こんなにも膨大な作業がなんとかできたのかもしれません。
しかし掛下先生は加藤委員長と一緒に、まとめ役としても大変だったのではないかと思います。いつ頃からでしたか、データサイエンス教育委員会でやろうということになりましたね。
掛下先生(以下、掛下):本格的に着手したのは昨年夏でした。情報処理学会では,1990年からおおむね10年に1回、情報分野の大学専門教育に関するカリキュラムを出してきました(下記)。
カリキュラム標準-情報処理学会
https://www.ipsj.or.jp/annai/committee/education/j07/ed_curriculum.html
それ以前は、日本国内で広く使われる情報分野の標準カリキュラムはなかったのです。
数学、物理、機械工学、電気工学など、長い歴史を持ち確立した学問体系がある分野では標準カリキュラムを学会が策定する必要性は高くありません。しかし、情報分野は急速に発展しており、専門家も少なかったので、大学で情報工学や情報科学をしっかり学んで博士の学位を取った先生もおられる一方で、それ以外の分野の研究者で、プログラミング経験のある方が情報分野の教員として教育を担当されている場合もあります。高校でも教科・情報の教員免許を持っている先生が少ないのですが、これと同じような状況が大学にもあります。
その後、1997年にJ97、2007年にはJ07というカリキュラム標準を出しました。情報分野における専門教育の質保証を推進するためにJABEE(日本技術者教育認定機構)に協力して専門教育プログラムの認定に取り組みました(アクレディテーション委員会)。情報専門学科の教育内容を専門家がしっかりレビューする仕組みを作ったわけです。
データサイエンス教育の検討が進んだのはここ5年位です。情報処理学会は2017年にカリキュラム標準J17を策定しました。その時にデータサイエンス分野のカリキュラム標準を検討しましたが、当時はまだ取りまとめができる材料が不足していました。しかし、その後、EdisonやACM、データサイエンティスト協会等、国内外でデータサイエンス分野の教育・人材育成に関する様々な取り組みが進んだので、カリキュラム標準としての取りまとめが可能になりました。これらの取り組みを推進してこられた方々には深く感謝しています。
ビッグデータ、AIの拡がりとデジタル化の推進
上松:メンバーでご一緒させて頂いた松尾豊先生(東大)も人工知能の分野で進化があったということを伺いましたが、この分野は急激な進化ですよね。
掛下:はい。歴史的にはビッグデータが2005年あたりから流行っていました。しかし学問分野としては系統的なものではありませんでした。当時はデータベースの新分野という意識が強かったと思います。「ビッグデータ」をバズワードとみなす専門家もいました。新しい言葉だったことと、GAFAなどが利用者から収集したデータの分析で新しいサービスを作り始めた頃ですね。データ分析のノウハウは企業側にあり、国際会議等では成果が報告されていましたが、体系化は進んでいませんでした。また、マネタイズの観点からビジネス界の注目も集まり始めました。
上松:各自治体などでもオープンデータが始まった頃ですよね。
掛下:政府にしても地方自治体にしても税収が減少しています。だから人員削減に取り組む必要があるわけです。しかしやるべき仕事は増えてきている。オープンデータもそうですが、デジタル化の推進はそれを後押しすることになります。私が住んでいる佐賀県は人口も少なく、有力な企業も少ないことから、財政的には厳しい状況がずっと続いてきました。多くの人達がこの状況を改善しようと考えて、電子県庁や電子市役所の取り組みが10年以上前から進みました。
政府レベルではようやくデジタル庁の取り組みが始まりましたが、それだけ財政的には余裕があったのだと思います。総務省だけでなく、色々なサービスを提供するに当たって、人間のかわりにコンピュータを使うことが効果的かつ費用も少なくて済むということです。
上松:エストニアや韓国もそうですよね。
掛下:はい、エストニアや韓国等でデジタル化が進んできたのは、それぞれに困難な状況を克服しようと努力した結果だと思います。地方でIT化が進むのも、経費節減の面と、デジタル化によるサービス品質の向上の面があると思います。
行政のデジタル化が進んでくると、データをいかに集めて利活用するか、という視点が大事になります。GAFA[1]もコンビニも顧客からデータを集め、的確に分析して活用することで収益を生み出しており、同時に様々な仕事をコンピュータにさせることで人手を減らしている。コロナ禍をきっかけに大学ではオンライン教育が普及しましたが、これを通じて収集した教育データも、今後の大学教育に大きな影響を与えるでしょう。こうした努力の結果としてDX(デジタルトランスフォーメーション)やSociety 5.0[2]が進むのだと思います。
こういう話をすると、「人間の仕事をコンピュータが奪う」とおっしゃる方もおられるでしょうね。しかし、コンピュータが苦手な仕事はたくさんあります。コンピュータを人間に忠実な道具として使いこなせるように、人間にはしっかり学んでいただきたいと思います。
[1] GAFA
アメリカの主要IT企業4社の総称。Google、Amazon、Facebook、Apple。
[2] Society 5.0
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)
(内閣府のサイト https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/ より引用。閲覧日:2021.6.10)