メタバースが変える医療 ー時間と空間を越えた新フェイズへー【第2回】
帝京大学杉本真樹先生へのインタビュー、第2回です。杉本先生による医療現場の改革とICT化の関連についてお伺いしました。
医療に3次元のICTプロセス
上松:病院が経営破綻寸前になった原因は何だったのでしょうか。
杉本:医師らが疲弊していたんですよ。古い体制でなおかつ、医師にありがちなのですが自己犠牲をしており、非常に非効率な状況に疑問を持ちました。医療を良くするには医療従事者を良くしなければと思ったんです。働き方改革と最近言うようになりましたが、働き方改革によって効率化してプライベートも充実して、QOL(quality of life:個人の人生の質)を上げることが大事だなと思ったんです。医師のQOLって当時の医師はあまり考えていなかったんですよね。
お金のインセンティブって限界があるんですよね。生きがいとかお金以外のものが大事だと思います。
上松:QOLを充実させることでどうなりましたか。
杉本:結果としてQOLの充実とICT化により収益が上がって、さらに後輩の育成をすることもできました。
上松:それはものすごい成果ですね。医療従事者の働き方改革とICT化をされたのですね。
杉本:はい、2000年くらいからCTが普及したのですが、ちょうど2006年くらいから3次元の16列のマルチスキャンのCTが入ったんです。やっとソフトが出回り、これだ!と思いました。平面だったレントゲンが立体になると奥行きがわかるので、治療するには輪切りよりも楽なのですね。
建物を建てるのも立体に見える方が良いのと同様に、実際に手術をするときに3Dでやれば、まるでカーナビが側にあるようなものでとてもやりやすいです。平面が立体になったことによる良さですね。
手術の様子
上松:確かに建造物も立体の方がわかりやすいですよね。
杉本:アントニオ・ガウディのサグラダファミリアは3Dプリンターが入って急速に建築が進んだのです。3Dでガウディの書いた設計図が簡単に具現化したので、完成は相当早くなりました。
上松:私たちが生きているうちには完成できないと以前は言われていましたが、進んできていますね。3Dはこういった立体の技術に関連しているのですね。
杉本:サグラダファミリアに行きましたら3Dプリンターが地下にいっぱいあるのを見たことがあります。立体感という空間認識は重要で、それを再現するアプリの開発をすれば良いと思いました。
上松:実際に行かれたのですね。正確かつスピードアップもできれば手術の負担も軽減されますからね。それを開発すればすごいことですよね。
杉本:はい、そんなアプリを作ろうと思っていたら、アップルのホームページに医用画像解析アプリ「OsiriX(オザイリクス)」という無料のソフトがあって、アップルのパソコンを使えば簡単に3D画面になることがわかったんです。つまり患者さんのCT画像はそのソフトを使えば3次元的に見えるということなのです。これは画期的だなと。
また、従来は病院の中にしかない高いコンピュータを使わなければ立体化は不可能でした。しかし、OsiriXはスイスのジュネーブ大学で開発されたMac OS X上で動作する医用画像ビューアシステムですから、Macを買えば自分のコンピュータに無料でダウンロードでき誰でも使えます。そこがとても良かったのです。患者のデータが自分の家のパソコンで立体に再現でき、ソフトはオープンソースだったので自分のパソコンで3次元で見れたんです。
これは技術の民主化だな、と思いました。何とかこれを治療に役立てたいな、と思いました。
上松:こんなオープンソースを目にするなんてインターネットはすごい可能性がありますね。これまで手作りで模型を作る方もいらっしゃる時代だったのに進化ですね。
杉本:患者のレントゲンの中で測るツールはまるでカーナビが手元にあるようで、もうちょっと行ったら危ないってこともわかるのですごいと思いました。2006年に学会発表したら「それはいくらか」と金額を聞かれるようになり、売りものではないけれども売ってくれといわれました。また、アップルの社員がいて「うちのアップルのホームページに紹介したい」と言われました。当時ヘルスケアのウェブページを立ち上げたけれどもコンテンツがなかったとのことで「うちの製品が人の命を救う」と感動されました。
以降やりとりするようになり、1年間かけてウェブサイトを作りました。その後、2008年に杉本真樹という名前で事例を出してくれるようになりました。私の記事の一つ前には内視鏡のドクターの事例がありました。
上松:どんな事例なのでしょう。
杉本:これまで内視鏡の高額なカメラで撮った画像はHDでようやく癌だと判別できたくらいのものだったが、Macの画面でサーバーにつないで、多くの医師が一斉にみんなでアクセスして見られるようになったため、癌の診断率が高くなり発見が早くなったというものでした。そのドクターはオリンパスのような良い製品があった日本によく来ていたことがわかりました。
上松:確かに日本はカメラ分野はすごいものがありましたよね。
杉本:それで手術をするところをそのドクターにお見せしたのですよ。しかし滅菌の手袋をしたらパソコンを操作することができなかったので、その時は日本のWiiリモコンでやりました。ドクターには、スタンフォードに留学をして退役軍人病院で一緒にやらないかと言われました。アップルの記事もまだ途中だったこともあり、直接時差なくやりとりしたかったこともあります。当時Zoomなどはありませんでしたからね。
上松:渡米されるのですね。
杉本:はい、そうです。ところが大変なことがあったんです。留学は推薦状が無いとできないので、自分の教授に推薦状を書いて欲しいと言いました。自分としては、博士も取ってアメリカで評価されることで、自分が行く前の病院も収益が上がり立ち直ると思いました。また、これからは海外だと思うし、自分が行けば後輩に将来のルートを作ることもできると思いました。しかし当時の教授にはもっと外科の下積みをしてから行くようにと断られ、即座に退職届を出しました。
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