メタバースが変える医療 ー時間と空間を越えた新フェイズへー【第1回】
今回は帝京大学の杉本真樹先生にインタビューを行いました。筆者は10年以上前に杉本先生にお目にかかったことがあり、今回の御縁をいただきました。今新しいフェイズに向かっている医療の世界を杉本先生はどのように変えて行かれたのか、お伺いするのが楽しみです。
今回は全4回でお送りいたします。
外科医になったきっかけ
上松:杉本先生にお目にかかってから10年以上が経ちましたが、あれからかなり、先生のご研究も進まれたと思っております。社会も変化し、特にICTの技術はものすごく進歩しましたね。これからもICTの分野は進化していくと思いますので、久しぶりにこの最新情報についてトークできればと思ってお伺いしました。さらに最先端の教育についての現状や未来展望を伺うことができましたら幸いです。
以前お目にかかった際には、まだ帝京大学には勤務されていらっしゃらなかったですよね。
杉本:そうですね、帝京大学に勤務するよりずっと前でしたね。引き続き現在もテクノロジーで医療が良くなれば良いな、と思って大学の教員と会社をやっています。
上松:その気持ちをぶれずにずっと持ち続けているっていうのは素晴らしいことですね。先生は昔どんな子どもだったのでしょうか。
杉本:機械いじりが好きな子どもでした。時計を分解したり感電も何回もしたりしたこともあります。
上松:そもそもどうしてお医者様を目指されたのでしょう。親の職業を継ぐケースはあるようですがご実家が病院を経営されていたのでしょうか。
杉本:いえいえ、両親が医師ではなかったので家を継ぐという状況ではなかったです。なので、高校までは正直どんな職業に就こうかな、と思っていました。でも「人の役に立つ仕事が良い」と思っていました。理系でSTEAM系や英語も得意だったので、工学部も理学部も選択肢としてはありました。でも将来の職業を考えると「医学部を出たら医師になる」という明確さがあるのが医学部なので、大学で勉強することが将来に直結すると思い医師を目指しました。
上松:なるほど。何かに影響を受けたことはありますか。
杉本:当時「世の中が混乱しても医師は医師でいられる。人1人ができることが大きく、自分が人間である以上、役に立ち最も貢献できる。その人にとって一番嬉しいことは命を救われることだ。」と書いてあった小説を読み、医師って素晴らしい職業だな、と思いました。それで医師になろうと思って周りをみたら、親が医師だという同級生が意外にも多かったのです。
上松:先生は暁星高校でしたよね。そういう同級生も多かったという環境が最後の一押しでしたね。
医学には専門も色々あると思いますが、外科医になられたのはなぜでしょうか。
杉本:実は外科医になりたくて医学部に入ったと言っても良いくらい外科医になりたいと思っていました。薬を飲んで様子をみるというゆっくりできる性分ではないのもありますし、外科医は悪いものを取って治すという非常にシンブルでわかりやすいもので、やりがいがあると思いました。また、外科医は内科をカバーすると言われています。やりがいのある必要とされているものをやりたいという野心がありました。
上松:手術は長時間にも及びますし体力も要るように思います。もちろんどの分野も大変でしょうが、人の命を預かるのでとても大変だと感じます。
杉本:人は嫌がるけれども自分はやってみたいし、ブラックジャックのように(笑)手術がやれるので手術をしたいという、そういう発想もありました。せっかく手術のできる免許があるのにやらないのはもったいないな、と思ったこともありました。
今は3年間の研修後に専門を決めるのですが、その当時は医師免許を取れたら何かの医局に所属することができて、すぐに専門を決めることができたので外科医の道を選びました。
上松:本当にぶれないですね。
杉本:ただ、家が医師でないから医療をやるということはどういうことかわからず調べてみたら、けっこう古い非効率なことをやっているな、と感じました。医療はICTの要素がなかったので新しくなる方法はないのかな、と思っていましたが、まずは医師として一人前になろうと思いました。
博士取得、地方の大学病院へ
上松:外科医になられたご決断は、今も正しいと思っていらっしゃいますか。
杉本:はい、もちろん。医師になってから救急救命センターにも居たことがあって、色々な専門の医師がローテーションで来られたのですが、外科出身の先生は何でもやれて「よしやるぞ!」とやりがいがものすごくありました。それを見て外科医になって良かったな、と思いました。
ただ、外科医は1人でやれる範囲が大きいのは良かったんですが、出番も多く責任も重いので、なんとか効率化しないとならないな、という気持ちはその時にもありましたね。
自分のスキルをもう少し確立したいなと思って、その後、勉強の仕方を知りたくて大学院に入り博士を取りました。
上松:勉強の仕方を勉強するっていう発想で大学院に行かれるというのは素晴らしいですね。自らをアップデートされ、その後の活躍が気になります。
杉本:バリバリと博士まで行き本院に行くのかと思ったら、なんと、地方の大学病院に行くことになったんですよ。
杉本真樹先生と筆者、インタビューの様子
上松:それはいきなりどうしてでしょうか。
杉本:経営破綻寸前のとある病院の医師たちが一挙に居なくなり、欠員がでたのです。そこは学閥もあり、先生方が多く辞めてしまい手術もできないし、なんとか外科医を補充しなくてはならないという話が出ていました。その時の私の担当教授が、うちの教室から何人か派遣することになりました。
上松:それは大変そうですね。
杉本:そう、もしかして試されたのかな、と思いました。それで後からなのですが、「誰に行ってもらおうかと思ったけれど、一番生意気そうなヤツを選んだ。1人で何でもできるし周りからの圧にも負けないし」と言われ、学閥のある中でやっていける人物だと思われたからだと知りました。
上松:それは杉本先生の実力が買われたのですね。先生なら何かやってくれそうだということだと思います。
杉本:先生の意図を知り、病院が本院に負けないくらいブランディングをして成果を出すのが自分のミッションだと思いました。なぜ医師たちが一挙に引き上げて経営が上手くいかなくなったのか、臨床をしながら俯瞰して課題を洗い出そうと思ったんです。
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