教育連載コラム―未来への戦略-

リスキリングと自己実現【前編】教育は教師のスキルアップから

今回は埼玉県にある埼玉県立芸術総合高等学校教諭の西澤廣人先生にお話を伺った。
筆者は時々、海外の芸術を扱う高校へ訪問することはあるが、日本では珍しい。またカリキュラムも興味深かった。というのも「美術科」「音楽科」「映像芸術科」「舞台芸術科」の4つの芸術系学科を有し、普通科を置かない全国でも類を見ない専門高校として、2000年に開設されたからである。

映像芸術科は、映像表現を学ぶことを通して、様々なメディアで「伝える」力を育てる学科で、現代社会の中で求められる力を培うという。映像芸術科は、芸術としての映像に関する専門的な学習を通して、創造的な表現力を高め、豊かな感性を育て、映像メディアに関する情報を理解し、判断できる力を培うとともに、自らの考えを他者へ発信できる能力を育成することをねらいとしている。情報社会では必要な力である。
また、メディア・コミュニケーションとデザインを学ぶ映像芸術科の授業では、伝えたいことを様々な媒体(メディア)にまとめ、伝える実践(コミュニケーション)を繰り返し、その中で、伝えるための様々な工夫(デザイン)を学ぶ。つまり自己を表現する力を養うことを目的としたカリキュラムが1年次から組まれている。

高校の教員になったきっかけ

上松:今日はとても興味深い授業を見せていただきました。私も埼玉のこの辺りは詳しいのですが、入間市と狭山市と所沢市と飯能市が入り組んでいて、景色としては狭山茶の茶畑が広がっていたり富士山が見えたりと本当に風光明媚ですね。とはいえ都内に行くのは西武線も有り便利。デジタル社会と自然が合わさった場所ですね。
西澤:ほんとにそうですね。学校の廊下からも秩父の山々に沈む夕陽が見えるので、生徒たちは空がいい色になっていると声をかけあってスマホで写真を撮っています。私にとってもこの景色は見続けてきました。入間市の生まれで、入間市と所沢市で教員をしてきたので。
上松:高校の教員になったきっかけは?
西澤:教員になったきっかけは父です。父は小学校の教員で児童文学を書いていたので、小さいころから本に囲まれて暮らしていました。大学は文学部で日本文学を専攻し、高校の国語の教員になりました。自分の高校時代は、SF小説やファンタジーにはまっていて、映画が好きで、特にスターウォーズの影響を大きく受けました。もしその時に、今自分がつとめている高校があったら映画を学べる大学へ進んだかもしれません。
上松:映像については海外では国語の授業でやっているところもあり、文学と映像はメディアとしてはリテラシーにおいて共通の観点が多いですね。私も論文をいくつか書いて引用などもされましたが、文学におけるメディアリテラシーと映像におけるメディアリテラシーの共通点を書いたものです。映画だとシネリテラシーですね。

西澤:映像のメディアリテラシーは映像芸術科の授業の中ではいろいろな形で扱っています。映像の時代になったので、これからは多くの学校に広まっていくと思います。
上松:大学卒業してからすぐに高校の教員になられたのですよね、その時代、高校の先生の競争倍率は高かったですよね。新潟でも7倍、おそらく埼玉だと10倍近かった時代でしょう。
西澤:そうですね、2桁まではいかない時でしたが競争率は高かったです。1校目が9年間、2校目が10年、3校目が5年、今の学校は13年となりました。
上松:当時、高校の先生はけっこう長く転勤がなかったですよね。新潟もそうでした。コンピュータとの出会いは高校の教員になってからでしょうか。商業の先生がワープロを教えるようになった時代ですよね。
西澤:コンピュータとの出会いは高校の教員になる前です。字を書くことがほんとうに苦手で、タイプライターを見たときに自分にはキーボードが必要だと直感したんです。なので、先ずはタイプライターを購入し、コンピュータもMSXを買いました。この時は英語しか打てなかったのですが、大学2年の時にお相撲さんの高見山がワープロを持って「このワープロは運べます」というCMが登場して、ワープロの時間貸しをするような時代が来ました。
上松:懐かしいですね。
西澤:当時、ジャストシステムが開発したばかりのワープロソフトが登場したので店頭で試して、大学4年の時にNECの9801で初めて3.5FDDを搭載したU2と一太郎の1世代前のjX-WORD太郎を買いました。これで卒論を書こうと意気込んでいたら、指定の原稿用紙だったのが卒論にはつかえなかったのでちょっとがっかりだったんですけどね。
教員になった時に個人でパソコンを持っている人は珍しかったのですが、1990年ごろからどんどん職場にコンピュータが広がっていきました。私はMacを買い、一体型だったのでそれを入れる袋も買って、モバイルでないけれど、学校に持って行きました。
上松:ミニデスクトップのようなものですよね、すごく重かったでしょう。
西澤:そうですね、自転車に乗せて行く感じですね(笑)。
上松:私も職場に自作のパソコンを置いていました。その頃はマザーボードを取りつけ教務室の自分の机にセッティングしていました。聞かぬは一時の恥と思って得意な先生に教わったのも良い環境でした。その当時、卒業生と名簿のフォーマットや外字エディタで渡邊と渡邉とか、無い文字を作ってフロッピーに入れて転勤の置き土産みたいにしていました。あと今なら簡単な関数のExcelですが、点数で65と入力すると評価が3と表示され、80と入力すると5と表示されるようにファイルを作りとても喜ばれました。でも学校はWindowsで家ではMacでした。
西澤:当時からMacは音声合成ができたのでExcelのシートにテストの点数を入れてマックで読み上げて入力確認をしていました。そのころ各高校にコンピュータ室を作っていく流れが始まり、学校ごとに導入プランをたてることができたのでMacのLCを入れました。当時はまだイーサネットがなかったのでフォーンネットという電話線で接続するものを使って、電子メール体験とオブジェクト指向でプログラミングができるハイパーカードを使って教材を作っていました。例えば、国語の道案内の教材を作って、動画を見ながらそれを言語化する教材など。

上松:NASとか無かったですからね。メールなんかもISDNで大変でしたが、その当時の話がとても興味深く理解できます。コンピュータがこれから学校へ普及し始める時代でしたね。
西澤:当時からコンピュータは表現の道具だと思っていたんですよ。学校でどういう風に使っているかを知りたかったので、おもしろい実践に取り組んでいる小学校に見学に行ったり、小学校の先生方の実践の話を聞きにいきました。
パソコンの授業といえばオフィスソフトの使い方を教えるイメージがありましたが、表現の道具ということを最初から大事にしていました。自分を表現するために絵を描いたり、写真を使ったり、それと組みあわせて言葉をどう使うかを意識していました。]

他教科の免許の取得と育児休暇

上松:先生は家庭科の免許を取られたり、男性として当時、育児休暇を取られたりとすごく先進的で活躍されていましたね。

家庭科の調理実習中の西澤廣人先生

育休中の西澤先生

西澤:生徒と同じ状況に自分を追い込んで、生徒に関わり続けることをいつも考えています。生徒の背中を押すために自分も色々トライしてみる。生徒自身が伸びていくことに関わりたいと思ったからです。
上松:素晴らしいことです。しかし、なかなか背中を押しても動いてくれないのが現状ありますよね。本気を出すためのスイッチをどう押すかが課題です。自分も色々とトライしていますが、「先生だからできるんでしょう」と言われることが少なく無いです。挑戦した後、もし失敗しても成功の素だと思うのですよね。なのでトライは大事だと思うんです。
**
上松:私が高校の教員になった頃は本当に二十四の瞳の映画のような世界で、生徒と教師の心の繋がりがとても強固な関係でした。心から尊敬を受けていると感じた時もありました。しかし時代が変化し教員と生徒の関係性も時代とともに変わりましたね。
西澤:彼らは、自分が見ているものから学んでいると感じます。動画やゲームなどからも。そこから感覚を掴んでいるから、細かくステップで教えなくても、方向性を示すと映像で表現することができるようになっている。
一方、表現するというチャンスは多くは与えられていない。身近な他人の表現を見る機会も。映像芸術科の生徒たちは、授業や学校生活の中でここにチャレンジしています。表現することは、自分を見つめることですから、そのためには表現する機会と、いっしょに取り組む仲間が必要なんです。そして、仲間に加えてこれからは、自分を見つめて何が好きで何に反応するかをつかむために、AIもサポートしてくれるようになると思います。

映像芸術科の実習室