ダブルディグリー時代のスタートアップ ~浅田一憲さんインタビュー(4/4)
メディアデザイン学博士を目指したきっかけ
上松:コロナ禍を一足先に体験されたんですね。どうやって切り抜けられたのでしょうか。
浅田:スポーツクラブに通って運動を続けていたことは良かったと思います。また、アスキー時代の友人の結婚式に招待され、久しぶりに東京に行ったことも立ち直るための大きなきっかけになりました。結婚式には、昔アスキーでお世話になった古川さんなど何人かが来ていて久しぶりに楽しく話をしました。
古川さんに、「今何をしているの?」と聞かれて「何もしていません」と答えたら、「今度慶應義塾大学の教授になることになったよ。KMD(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科)という新しい大学院ができるから浅田さんも来てくださいよ。」と誘われたんです。
KMD(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科)時代の浅田さん
上松:そういう大学院を作るタイミングだったのですね。
浅田:そうなんです。慶應設立150周年を記念して新大学院を作る直前だったのです。それで思い切ってまた受験をして、2008年より自分にとって3校目となる大学に通うことになりました。そこで私は、私の終生の代表作となった「色のめがね」や「色のシミュレータ」など、その後の人生が変わるような開発をすることになります。アスキー時代に隣の部署の長だった古川さんと再会したおかげです。
ボスの古川さんは、研究をする際に、「困っている人のために何ができるのか」をいつも考えているような人でした。SOL(Sanctity of Life, 人生の尊厳)というプロジェクトを作って、そこでは入院して学校に通えない子どもたちのための研究や、障害者のための研究などをしていました。私もそれに刺激を受け、困っている人たちのために何かやりたいと思って作ったのが、色覚異常の人たちが色を区別できるようになるアプリ「色のめがね」です。また一般の色覚の人が色覚異常の人の見え方を体験できるアプリ「色のシミュレータ」も作りました。2010年のことです。翌年に老視や弱視など視力の低い人向けに文字を読みやすくするアプリ「明るく大きく」もリリースしました。
そして、これらのアプリを作る際にとてもお世話になったのが、実は電通大時代の恩師の小林光夫先生だったのです。作りたいものが決まってもそれをどういう技術で実現したら良いのかがわからない私にアドバイスをくれたのは小林先生です。何十年かぶりに会った私の話を聞いてくれて、日本中の色覚の研究者を紹介してくれたおかげで、いろいろな先生と会って相談することができました。ご自身のアトリエで私が作業することを許してくれて、色彩学の膨大な文献がある環境で研究をすることができました。そういう基礎があって私は色覚異常の人が色を区別できるための理論を生み出すことができたのです。
小林先生と浅田さん
人間が色を見るための仕組みを理解するのには医学部時代の勉強が役に立ちました。実装は今度はKMDの人がいろいろ教えてくれました。だからこれは私が電通大、北大、慶應大の3つの大学に行ったからこそできたアプリなのです。これらのアプリは開発費の全てを自分で負担して、一人で開発し、困っている人のために無料で公開しました。古川さんの影響ですね。
これらのアプリをリリースしたところ、ユーザからいろいろな言葉をもらって感涙しました。それで、「私のことをありがたいと思ってくれる人がこんなにたくさんいる、今までやってきたことは間違いじゃなかったんだ」と心から思うことができ、その結果私は引きこもるのをやめることができたのです。当時、研究の相談に乗ってもらった砂原先生や稲見先生らに出会えたこともKMDに行って良かったことのひとつです。人のためだと思ってやっていたことなのに実は自分が一番救われました。2011年、そこで私は2つめの博士号を取りました。
上松:そう言えば、浅田さんがゴッホの絵画と色覚の関係について書かれたBlogも世界的に評判になりましたね。これについてお伺いしたいです。
浅田:はい。私の知り合いの色覚異常の方々にはゴッホの絵が好きな人が多いんです。どうしてだろう?と不思議に思ってゴッホの絵に「色のシミュレータ」で色覚シミュレーションしてみたら、なんとあの有名な「ひまわり」が飛び出して立体に見えたんです。そこでいろいろなゴッホ作品を集めて片っ端から色覚シミュレーションしてみました。すると、色覚異常の人が見ているゴッホの絵は、自然でとても格調高い素晴らしい絵に見えました。私は「実はゴッホは色覚異常の人のような色の見え方もできる人なのでは?」と思い、その仮説を記事にまとめてたくさんの画像を付けて公開したのですが、それが大きな反響になりました。世界30ヵ国くらいでその記事が紹介されて、アメリカの有名なネットテレビでもニュースとして大きく取り上げられました。
私はそれで有名になってしまいましたが、絶賛されただけではなく批判もありました。特に古くからのゴッホファンは私の仮説を許せないようで辛辣な批判を受けたりもしましたね。まあ、気にしないようにしていますが。KMDの先生たちは、「これぞKMD出身のメディアイノベータならではの活動だ!」と言って褒めてくれましたよ。
雑誌「月刊ニューメディア」でも「色のめがね」と「色のシミュレータ」が紹介された
やりたいことは何でもやってみる。それが新しい可能性を生み出す
上松:絵画鑑賞も色覚によって見え方が違うんですね。今度は博士号を取って引きこもるどころかベンチャー支援をされましたね。さらにご自身でもベンチャー経営者としてがんばっていらっしゃいますね。
浅田:自分が苦労してベンチャーを経営してきた経験があるので、若いベンチャー起業家を応援したいです。主に技術方面でいろいろなアドバイスをしたり、エンジェル投資家として投資をさせてもらったりしています。
また一昨年からは、ベンチャーの支援をするだけでは飽き足らず、自ら2つのベンチャー企業を立ち上げました。久しぶりに起業家として復活です。
浅田:ありがとうございます。視覚障がい者は明るい場所ではなんとか目が見えても、少し暗い場所では目が見えにくくなる夜盲症と呼ばれる症状を伴うことが多いのです。ViXionでは、そのような人たちのために、僅かな光しかない場所でもそれをかけると昼間の太陽の下のように明るく見えるメガネ型のデバイスMW10を開発提供しています。
障がい者のためになる技術は必ず障がいがない人のためにもなります。トレたま年間大賞を受賞したのはコードネームMWFという開発中の新商品で、さまざまな視力の人が使用でき、その人が見た場所に自動的にピントを合わせてくれる画期的な電子メガネです。皆が参加できる社会を作ることを目指してやっていきます。
またもう1つ、ハウディという会社の会長をやっています。友人と超スマート社会を実現するような会社があればいいねと話をしていたのですが、ちょうど息子が帰省している時で隣でその話を聞いていたんです。しばらくすると息子から連絡があり、その会社自分がやりたいと言ってきたので一緒にやることになりました。息子が社長で私は会長です。
皆にとって快適な画期的な街や建築物を作る会社ということで、世界で一番尊敬する建築家であるアントニ・ガウディのGaudiという文字のGを一歩進めてHにしてHaudiと名付けました。
ハウディでは、主に不動産デベロッパーや設備メーカ向けにDX化ソリューションを提供しています。住宅設備、ビル設備、建設現場、工場などをIT化する技術を持っています。環境やソーシャルインクルージョンを意識した社会実装をおこなっており、たとえば車椅子やベビーカー使用者やお年寄りなどの社会的弱者に優しいIoTドアなどを開発しています。
そして、引き続きエンジェル投資もやっています。VCなどは事業内容や事業計画を精査して投資を行いますが、私は事業よりも人だと思っています。人に投資すること。そして常に進化し続けることが好きです。
筆者と浅田さん
上松:素晴らしいですね。そんな浅田さんから何かメッセージはありますか。特にどうしたら浅田さんのようになれるのだろうと憧れる方は大勢いらっしゃると思います。
浅田:そうですね、よく「早いうちに自分の得意な分野を見つけてそれを生かすような仕事をしなさい」というアドバイスを耳にしますが、私は逆です。「得意なことを作るな」です。
人間まだやってないことがたくさんあります。やった経験があることなどほんの僅かです。なので自分が何が得意かなどわかるはずがありません。得意というのはただの思い込みだから、早いうちからひとつに拘るのではなく何でもやってみる。また、「得意とか不得意とか関係なく、やりたいことをやってしまえ!」と言いたいです。
私は人生で分野を変えて様々なことをやってきました。全部捨てて1からのやり直しになるので、大抵は最初は全くできず自分が嫌になります。でもチャレンジしているとそのうち必ずできるようになってくるんですよね。分野を変えてチャレンジすることは自分の可能性を広げることです。私は、成功してもそこに安住したくないし、何も持っていない時の自分に戻ってまた1からやったらうまくいくだろうか?と自分を試したくなるんです。
「全部捨てて1からやる。それを繰り返す。」、それが大きな結果に繋がっていくように思います。
上松:ありがとうございました。
浅田一憲さん 略歴
医学博士(北海道大学大学院医学研究科)・メディアデザイン学博士(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科)の2つの博士号を持つ研究者・技術者・経営者。通信・暗号・医療分野に造詣が深い。起業家として、1997年に情報セキュリティのスタートアップ、株式会社オープンループを創業し、代表取締役に就任。2001年に同社を上場に導いた。社会活動として、見ることに不自由を感じる人のため「色のシミュレータ」等の視覚・色覚の補助アプリ群を開発し無償で提供。世界で200万人超に使用されている。 日本でインターネットが普及するきっかけになった大ベストセラーISDN通信機「MN128」開発者。サイバートラスト立ち上げメンバー。ViXion株式会社代表取締役社長。株式会社ハウディ取締役会長。