教育連載コラム―未来への戦略-

教育にコンピュータサイエンスを【前編】ー 科学を灯す、スイッチサイエンス ー

今回は株式会社スイッチサイエンス社長、金本茂さんのインタビューを行った。
なおスイッチサイエンス執行役員でもあり、スイッチサイエンスの100%子会社である株式会社スイッチエデュケーションの社長、小室真紀さんにもインタビューを行った。こちらは後編に紹介したい。

電子工作に触れた学生時代

上松:スイッチサイエンスは興味深い色々な教材を様々な学習の場に提供している会社ですよね。私の友人もプログラミング教材を実際に購入して製作しています。
スイッチサイエンスを起業されたきっかけについて、さかのぼってお伺いしたいと思っています。

金本さん(以下、金本):教材にはイギリスやイタリアから輸入したものもあります。ネットで注文するだけでなく、実際に海外の取引先を訪問して輸入を決めるということもしています。

上松:そのような事業をスタートされたきっかけは何だったのでしょう。金本さんのご出身は確か八王子ですよね。

金本:はい、八王子出身です。八王子はとても良い町ではあるけれども当時はあまり何もなくてつまらなかったんですよね、最近は色々できて賑やかになってきたけれども。

上松:立川はその当時、基地があったり、当時は珍しかったマクドナルドが出来たりと賑やかでしたが、八王子は立川より遠いので行ったことがありませんでした。しかし私は日野の実践女子大学に数年通っていましたし、今では大学がたくさんある学園都市で百貨店もできてとても発展しましたね。

金本:はい、今はそうですね。当時、小学校の時に両親のすすめもあって麻布中学校を受験し、高校卒業まで通っていました。中学校受験のために国立にある塾にも通いました。

上松:それはすごい距離の通学でしたね。中学校で八王子から麻布までってすごいですよね。

金本:距離があるのでね。新宿からは地下鉄で通学していました。朝は5時50分くらいに家を出ていました。母親は朝起きて6年間お弁当を作ってくれたんです。本当に親に感謝です。

上松:それは素敵ですね。

株式会社スイッチサイエンス 代表取締役社長 金本茂さん

金本:麻布中学校では課外の部活があって、電子工作のクラブがありました。先生は何も教えてくれなかったけれど、先輩が何でも教えてくれました。先輩にはアナログシンセサイザーの回路を設計できるような人もいたんです。
小学校の頃からこういう世界に興味があり、それまでは見よう見まねで雑誌に載っているものを作っていました。高校2年生で受験のためクラブ活動は終わり、部室には行くけれどもクラブには参加しない、ということもしていました。結構のんびりした学校でしたね。
上松:これはすごいレベルの高い環境ですよ。金本さんの原点はそこですね。
金本:今思えば大変レベルが高かったですね。シンセサイザーのモーグ博士が来日した際に無理やり訪問して自作の回路図を見てもらったら、モーグ博士が感心して秘密の回路図を見せてくれたというエピソードもあります。NECのビッグローブの社長を務めた方もいらっしゃった。
そのクラブの1個上の先輩がスイッチサイエンスの役員をしてくれて、3つ上の先輩は顧問をしてくださっています。
上松:ご縁でしたね。
金本:その後、早稲田大学理工学部に入りました。今にして思えば学術の大事さはわかりますが、当時は全然それがわからなかったので実学に興味がありました。

高くなかった、起業へのハードル

上松:ソフトウェアが好きだったんですね。
金本:当時の技術は今振り返ってみると、初歩的で「可愛い世界」だと思います。今のスマホの10分の1の性能でも「高性能だ」といって使っていたんですからね。
大学時代にアルバイトした先は、麻布の先輩、うちの会社の顧問をしている方が千葉大在学中に起業したところでした。当時の自分は仕事をすればお金がもらえるとばかり思っており、特に会社のしくみは全然わかっていませんでした。ただ仕事をすれば1時間いくらでお金が湧いてくるくらいに思っていました。当時の先輩は資金繰りや色々な苦労をしていたのでしょうけれど、近くにいてもそれが全然わからなかったので、自分でもできるのかなと軽く考えていました。
就職した会社では、好きでもない営業をわざわざ頼み込んでやらせてもらいました。電話の受話器は左手で取るということも、請求書の書き方も、この会社で教わりました。
その後、個人事業主としてソフトウェア開発業をするようになり、それを会社にしました。1992年、30年前です。
上松:それはスイッチサイエンスのスタートですね。30年祝いをしないと。
金本:もう過ぎちゃったんですよ。1992年にソフトウェアの会社として起業し、プログラムを作ったり、当時作られ始めていたワークステーションなどのサーバーを使ったりなどして色々やっていました。
上松:スキルが生きていますね。
金本:X Windowを移植する仕事もしました。大学系の研究所のサーバーのお守りをしてくれという依頼もありました。国立遺伝学研究所では、サーバーのお守りの他、LANの敷設もやらせてもらいました。
上松:そこで教材を作るという流れになるのですね。

電子工作ができるマイコンボード「アルデュイーノ」の輸入販売

金本:あるときネットで「アルデュイーノ」をみつけました。アルデュイーノが欲しくなったのですが、イタリアから1個だけ買うのでは送料が高いので、少し多めに買って欲しい人に分ける事にしました。買った分が売り切れたらおしまいにするくらいのつもりだったのですが、どんどん売れてしまい、半年後には自宅近所に小さなオフィスを借りて、知人を雇うようになりました。
上松:イタリアっていうのは知っていますが、どうもイタリアってそういうイメージではないですよね。

金本:オリベッティもありますよね。昔は北イタリアで大きな工場を持っていて、その周辺に製造業などがあったそうです。
上松:しかし北と南ってイメージ違いますよね、イタリアは。
金本:トリノ空港から行くイブレアという町で、オリベッティの工場もあるんですよ。スイスやフランスも近いですよね。山の麓という感じで川もあります。
上松:そこで開発されたのがアルデュイーノなんですね。そこで買ったんですね。
金本:当初からずっとメールだけでやりとりしていたのですが、2年弱経ってようやく現地を訪問しました。アルデュイーノ通りというのがあるんです。その地域に大昔にいた王様の名前なんだそうです。勇敢な王みたいな意味だったかな、その地域では有名な王様です。
通りの突き当たりにはアルデュイーノ通りの名前を冠したカフェがあって、アルデュイーノはここで生まれたのだそうです。イブレアには、オリベッティが設立したインタラクションデザインの研究所(Interaction Design Institute Ivrea)が当時存在し、この研究所の先生たちが研究をやりやすくするツールとして作られました。インタラクションデザインの研究なので、何らかの装置の動きを提案するんですが、それまでダンボール紙等でモックを作っても、動きは言葉で説明するしかなかったのだそうです。そのモックに、ボタンを押したらここが光るというような動きを加えるのがアルデュイーノなんです。

上松:多くの分野の方が関わるのって大事ですよね。まさにそれが実現したのがアルデュイーノなんですね!
なぜ、それを発見されたんですか。

金本:偶然なんですよね。子供のころに好きだった電子工作は、いまはどうなってるんだろうという興味で検索したときに見つけました。電子工作の世界はがらりと変わり、ハンダゴテを引っ張り出して来なくてもたくさんの事ができるようになっているのに感動しました。趣味的に試しに買ってみるはずが、想像を超えたニーズがありました。
この輸入販売には、本業とは別に持っていた休眠状態の会社を使ったのですが、その後この事業を株式会社スイッチサイエンスとして独立させ、さらに本業のグループ会社に入れるという事をして、今に至ります。

上松:私も当時、世界の中で小学生の使うプログラミング教材をたくさん見てきたので、それを日本で大量に販売すれば会社を作れるようになると、今、感じました。もう遅いですね。
しかし1人では無理ですよね。どうやって協力者を見つけられたのでしょうか。

金本:人が先なんですよ。お金ではなく。

株式会社スイッチサイエンス 代表取締役社長 金本茂さん

上松:格言ですね。それは確か松下幸之助の言葉にありました。「お金ではなく、人を追え」みたいな感じだったような。
金本:自分が精一杯やっていれば集まってくる人がいて、呼び込んで一緒にやろうという流れができる。そのうち、この人とこの事業をやろうといって新規事業を作ることにもなりますね。
上松:ニーズはこれからもどんどんありますよね。
金本:1つは単純な電子工作、プログラミングとは違う分野でも、誰かの役に立てる部分があると思っています。たとえば、量子コンピュータの時代に必要なもの、教育に使えるものを届けていきたいです。
最近、うちの社員が見つけてきた製品で、パソコンサイズの量子コンピュータがあります。たったの2キュービット(量子ビット)なので、何の役にも立たないけれど、本当に量子計算をやって4通りの結果の確率を出してくれます。こういった製品も輸入販売したいと考えています。
上松:ちなみに貴社は東京ビッグサイトで見たように女性の社員の割合がしっかりあって、子会社のスイッチエデュケーションの社長である小室真紀さんも素晴らしいですね。
小室さんは最初アルバイトで大学院時代にスイッチサイエンスに入られた方で、アルデュイーノの発音についてYouTubeで配信されていました。次は小室社長にインタビューいたします。

株式会社スイッチサイエンス
URL: https://info.switch-science.com/
金本茂(かねもとしげる)氏 プロフィール
1966年生まれ。元電子工作少年。早稲田大学理工学部を卒業後、ソフトウェア技術者として会社勤務、フリーランスを経て、1992年にソフトウェア開発会社を設立。2008年、Arduinoによって電子工作の魅力を再発見し、輸入販売のためにスイッチサイエンスを創業。電子回路モジュールの設計製造、輸出入、小売および卸売に従事。現、株式会社144Lab代表取締役社長、株式会社スイッチサイエンス代表取締役社長、株式会社スイッチエデュケーション代表取締役会長。micro:bit IDEの国際化、日本語化に貢献した。

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