教育連載コラム―未来への戦略-

伝統のある小学校でもオンライン教育の時代(前編)

渋谷区は全国に先駆け、児童生徒にLTEモデルのタブレット端末を1人1台配布した区である。渋谷区長に以前お目にかかったこともあったが、とにかく今の時代はいずれ1人1台となるので進めて行くということだった。
今回訪問した渋谷区立千駄谷小学校は創立145年の小学校である。保護者もこの小学校の出身という例もあるという。
月曜日の早朝に訪問すると、新型コロナウィルスの影響で、校長先生の全校朝会はオンラインでの実施となっていた。

校長先生は校長室から熱心に児童に語りかけていた。校長室にパソコンを置いて、児童に語りかけている。
本来ならば全校児童の前で話をする場面がコロナにより一転した。
校長先生と3年生の担任である教諭の鍋谷先生にインタビューをした。

オンライン教育の方が優れている点もある

上松:今日は早朝の時間から訪問させていただきありがとうございました。校長先生がオンライン朝会、そして鍋谷先生も校長先生のフォローやオンライン授業をされていて素晴らしいですね。
鍋谷先生(以下、鍋谷):はい、これからオンラインで授業をします。良かったらどうぞ御覧になってください。

上松:いきなりネガティブな話ですみませんが、オンラインだとリアルよりも劣ってしまうという声も聞こえてきます。特に教室でよく行うグループワークなどについての意見があります。
鍋谷:そんなことはありませんよ。むしろ、教室でグループワークをする場合だと5つや6つくらいのグループができますが、私が教室に居ても全ての学習者の全ての意見のやりとりを聞くことは不可能です。その点、今、行っているリアルタイムのオンライン授業ではグループ活動もできるだけでなく、グループワークが動画にもなって時間がたつと自動的に文字がついてくるんですよ。なので、学習者の話がむしろしっかり拾えているんですよ。

上松:授業だと話が流れておしまいですが、文字になるのは良いですね。私も授業でグループワークをさせますが、複数のグループはキャッチしきれない。良い発言があっても全てをフォローできないこともあります。
鍋谷:グループの活動を文字起こしで見ると、それぞれのグループ活動でどこでつまづいているのか、どういった発言でより学びが進化したかもわかります。児童が他のグループについてもちゃんと見てくれているんですよ。
上松:素晴らしいですね。一方で、成績に結びつかないと言う声もありますが。
鍋谷:これはモチベーションも上がるし、本当にやりたいことが出てきた時にこういったスキルが生きてくるのだと思います。

「オンライン休み時間」でのコミュニケーション

上松:他にどのような使い方をしていますか。
鍋谷:実際に学校に来ると、授業があって、それが終わると休み時間があって教室で話をしたり、校庭で遊んだりしますよね。なので、学級閉鎖になった場合でもオンライン授業はしっかり行いますし、授業以外でも繋げることにトライしているんですよ。
上松:それは良いアイデアですね。
鍋谷:オンライン休み時間という枠を作ってみたんです。ただみんなと話す、教室みたいな感じはどのような感じだろうか、と思って。子どもたちから頼まれてもないのに設定してみたんです。
実際には直前の算数が終わったら、すぐにほんの数名が入ってきて、ただのお話が始まった。今日集まった子達はじゃんけん大会とかしないタイプでした。ずっと喋っている子もいるけれど、笑って見てるだけの子もいたりして、普段の休み時間のイメージ。見るだけのつもりだった私も話に入れてもらって、コミュニケーションが取れていい感じだったんです。
上松:それは見学したいです。
鍋谷先生:はい、どうぞ。午後に(どうしても外せない)用事で来校した保護者と話す機会があったんですが、「オンラインは授業のためと思ってたけど、こっちの方が先かもしれませんね」と言われたんです。休み時間のやりとりをそばで聞いた感想だそうです。保護者も学校が休みになって友人との交流が少なくなることを心配していたようです。オフィシャルなコミュニケーションツールの意味について、保護者と共有できる日が少し近づいたかな、と感じました。となると、次(新年度計画)に打つ手は何にしようか、と考えています。

今回のインタビューの後、実際にこのオンライン休み時間を見学した。授業でおとなしかった児童も積極的に話をしていた。体調が悪かった児童が久しぶりに顔を出したら、一人の児童が「良かったね、オンラインで話ができて嬉しい!」と言っていたのが印象に残った。
学級閉鎖や休校などで昨年は子どもたちから大事な学びが奪われた事例もあった。プリントをただ配布しただけの学校も少なくなかったようだ。しかし学校では休み時間も大事なコミュニケーションの時間となっている。オンラインでこのような時間を設けることは良いことだと感じた。